思想の花びら | 2020年 2月15日 |
● アラン (哲学者) のことば
天才とは、思案せずしかもあやまたぬ、予見しがたい流暢な行為である。(略) 美しい音楽の中には、なにか非常に自然はつつましいものがあり、音を聞いている歌手は、他物に注意をひかれず、音という対象のうちに順次に現われるものを見守っていると信ぜざるを得ないが、こういう充実した注意は、反省とか懸念とか先入観があっては不可能である。ここでは問題は予見することにはなく、ただおこなうことにある。(略) 忠告とか計画とかによらず、ただ対象によって事を決してしまう、自由な仕事というものはそういうものだ。画家にあっても同様だ、画筆の一刷けが次の一刷けを生む、作家にあって言葉が次々に流れ出すように。(略) 他の戦争の モデル によって戦争を指揮する将軍というものが考えられるだろうか。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
私は入門書や解説を否定しないが、それは読者がそれにとらはれず、一の参考ぐらゐに考へて接する場合にかぎる。詩や小説に対しては、たとひ難解であつても、素手でとびこみ、翻弄され、迷ひ、自ら額に汗してつきつめてみることが大切である。解説がなければ不安心だと思ふのは心の一種の衰弱ではあるまいかと私は思ふ。尤も解説の性質によつては、読書の上に大へん役立つこともあり、また古典や外国作品の場合、説明や註解の必要なのもたしかだが、それをみても、心の中で一応それを捨てることが大切である。
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