思想の花びら | 2020年 8月 1日 |
● アラン (哲学者) のことば
だが、すべての愛は、人が自分のうちには持っていないなにかである。愛するとは、自分の富を、自分の外に見つけることだ、僕は心の富をいうので、装飾物をさすのではない。自分が愛するのだから、自分を愛することができるわけはない。人は他人に作ってもらった自分の姿を愛するのだ。その点で、もしこの姿が愛すべきものだったら、社会は好ましく、安泰なものとなるだろう。しかしこの姿は自分ではない。どんな対象も事物も自分ではない。僕とは主語だ。属語ではない。飾りつけの余地はない。僕がするもの、それだけが僕のものだ。僕のうちにはなにものも残ってやしない。習慣だとか才能だとかをあてにするのは、つまり他人をあてにすることにほかならぬ。僕のうちにあるものは勇気だけだ、(略)
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
青春時代とは第二の誕生日である。自我の覚醒する日であるが、そのとき 「我」 を誕生せしむる機縁が即ち邂逅である。書物でもいゝ。師匠でも友人でも恋人でもいゝ。誰に出会っつたかといふことが重大だ。
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