思想の花びら | 2020年11月15日 |
● アラン (哲学者) のことば
しかし、頭でばかり人を観察していると、いつも人を見破りすぎていることに、やがて気がつくだろう。このよくない観察術は、自分自身が対象になる場合には、かなり危険な無分別に導くことは人の知るところだ。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
死の観念は我々の心を浄化してくれるであらう。「死」 を自分の前にはつきり据ゑたとき、はじめて自分のぎりぎりの生がみえてくるのではないか。つまりは自分の本音の存するところ、心からの願ひがみえてくる筈だ。そのときいかに多くの自己欺瞞や他人への思惑によつて自分が生きてゐるかを悟るであらう。「私」 とは 「他人」 の複合物ではないか。あれこれと他人の眼をおそれ、他人の思惑のみ気にして、小心翼々と生きてゐるのだが、人間は、いざ死ぬときはたった一人で死ぬものだ。
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