思想の花びら 2020年12月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  だから、僕はおのれをあまりきらいすぎてはいけないと忠告するのだ。人間ぎらいが自己嫌悪までいく例は、一般に考えられているよりはるかに多いのである。僕らは他人を裁こうとすればするほど、自分自身の態度や言葉や行為につまずくものだ。言わなければよかったと後悔するような言葉のなかに、熟考された言葉がいったいどれだけあるか。そんな言葉をあとになって詮議だてするからいけないのだ。詮議だてして自分の心のなかに、ありもしない悪意だとか、よくない性質だとかを探ろうとする、いよいよいけない。諸君をしばるものはなに一つない、諸君の欠点も美点もありはせぬ。要するに、人間は元来親切なものだと信ずる間違いが一つ、意地の悪いものだと信じる間違いが一つ、この二つの誤りはたがいに手を取り合ったものだ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  私は十年毎に、その十年間の自分をかへりみて、精神の自伝といつたものを書くことにしてゐる。さゝやかではあるがそれは私の道標である。同時に、自分の尊敬する人物の人間像を再現することを、主要な仕事としてきたのである。
  したがって私は文芸評論家とみなされてゐるが、それにとらはれてゐるわけではない。宗教評論家と呼ばれることもある。要するに人生いかに生くべきかを問うて、宗教へ赴いたり、文学へ赴いたりしてきたわけである。芸術一般は好きで、文学作品についての批評や作家論も興味がり、自分なりに全力をつくしてやつてきたわけだが、私の裡には、いま述べたごとく、宗教と芸術の二つが互に争ひながら住んでゐるといつていゝのである。

 


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