思想の花びら 2021年 1月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  確かに、僕らは、どういうふうに自分らの思想が肉体の運動に翻訳されるか知らない、また将来もおそらく知ることはできまい。僕らにわかっているのは、肉体の動きがなくては、思想を形作ることはできないということだけだ。この緊密な関係でいちばんより知られているところ、すなわち判断によって僕らは僕らの筋肉を動かすということを考えるだけで、すでに、想像力の諸結果の大部分を、いやおそらくは全部を説明している。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  しかし今ふりかへつてみて、非常に遺憾だと思ふのは、せつかく仏教や仏教芸術を学びながら、もつと視野をひろくして、東洋全体に眼をあけなかつたことである。ことにお隣の中国に対しては、全く無智、無関心であり、それのみならず侮蔑感さへ抱いてゐた。近代ヨーロッパの文化に対しては卑屈なほどこれを讃美しながら、東洋に対しては優越感を抱き、まるで自分が東洋人でないかのごとく考へてゐた。

 


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