思想の花びら | 2021年 2月 1日 |
● アラン (哲学者) のことば
およそ恐怖には、恐怖に対する恐怖というものしかないのである。だれでも承知しているところだが、行動は恐怖心を追い払うし、また危険がはっきりわかれば恐怖が静まることも少なくない、そのかわり明瞭な知覚が欠けていると、たとえば演説とか試験とかが近づくにつれてはかりがたいおそれを感ずるように、恐怖の念は、おのずから養われるものだ。(略) 恐怖が始まる、ぎょっとしては ほっとする、そういう小さな驚きがいくつも重なって、恐怖は増大する、要するに行為の伴わなぬ警戒が相重なって恐怖は大きくなる。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
同時にいつかは終局に達するであらうと考へるのも駄目で、一歩一歩がそのまゝ終局のつもりで書かねばならぬ。(略) 芭蕉の言つたやうに、わが句作はすべて辞世といふ覚悟がなければならない。我々凡庸な人間には、さういふ張りつめた心を持続することは出来ないにしても、一作一作が終焉のきざみであることは事実だから仕方がない。(略) 人間はその永遠を思ひつゝ、やはり一歩を大切にして行かねばならぬわけである。
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