思想の花びら 2021年 4月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  充分予見せずに、やっつけようとする際には、いつでもそこに少しばかりの怒りがあるはずだろう。恐怖を押しておこなおうとすることが、そもそも怒りそのものだといえよう。(略) 思いきって言えないことが言いたいということと怒るということとは同じものだ。臆病者やうそつきに共通したあの赤面というものもおそらく内攻した怒りなのだ。(略)相手を傷つけやしないか相手から悪く思われやしないかという恐れのために、怒りの助けをかりなければ思い切って恋愛行為ができないという始末になるのだ。ところで、どんな結果を見せつけられようが、僕にはどうも憎悪というものは信じがたい、愛とおそれとがあれば僕らの罪悪の説明には充分なのである。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  尊敬も愛情も興味もない題材の場合は、どんなに工夫したところでいゝものが出来る筈がない。また色々の本を参考にして、それをぬき書きして間にあはせようとする人も多いが、どんなに拙くとも自分の感じたことを率直にかくことから始めなければ、少なくとも文学の場合は害毒のみ多い。(略) いつも ペン をとつてゐなければ、表現力は養はれないものである。(略) 書くこともまた長年月の熟練を要する仕事だからである。

 


  << もどる HOME すすむ >>
  思想の花びら