思想の花びら 2021年 7月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  どうやら人間は泣くことを学ぶものらしい。どうにもこうにもならなくなり、われとわが身に腹がたってくると、人は涙を求める。(略) 涙に身をまかせてしまえば、人の命をつるしあげ、すぐにも息の根を止めかねない絶対的な絶望からは救われるが、同時に自分の無力を身にしみて味わわされる。これは立ち上がろうと唐突な努力を試みてはまたくずれ落ちるあの動きによく現われている。ただし、反省と判断との力で、人間はこの種のいたましいあがきを、純然たる メカニスム の手びきにわたす、つまり、自然の手にそれだけのことをさせてやるのだ。そのとき、人間は嗚咽せずに泣く、涙をとおすと、おのれの不幸がいっそう見わけられさえする、こうなればちょうど雹害のあとの農夫のように、すでに人はおのれの不幸に制限を付している。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  上代において 「東洋」 を学んだときは、周知のとおり儒教と仏教という源泉思想にまず直面した。この二代思想の伝来によって上代史は大きく転回している。思想が時代をつくるのだ。同様に、現代において、「西洋」 に立向うときには、必ず キリスト 教と ギリシャ 精神に直接参入しなければならないのは当然であろう。

 


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