思想の花びら | 2021年12月 1日 |
● アラン (哲学者) のことば
古代人は、伝統的な知恵の力で、放縦の感激や饗宴の興奮のその場限りの楽しみを、なにか人間をさわがす神さまのしわざにすることを忘れなかった。儀式によって、いわば秩序ある酩酊によって、神さまの心を鎮めることを考えた。この同じ考え方から、古代の賢者たちは、僕らよりはるかに礼節の形式というものをすべて重んじた。これにくらべれば、節制というものを、恐れからくる禁欲に化してしまおうとしている僕らは、僕らの真実な動機や真実な力を忘れすぎている。だから、僕らは常に個人にねらいをつけていながら、個人には触れない。儀式の好きな古代人は、もっと大道を闊歩して人間の魂に到達した。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
喜びや歓楽よりも、憂いや悲哀の方に人生の実相があると言っているのだ。すべての人間を、その 「終末」 の側から眺めようとしている。終末において眺めたとき、はじめて人間性に関する知恵にめざめるのではないか。幸福よりもむしろ不幸を信ずべきではないか。生よりも死を。一種の厭世感にはちがいないが、しかし伝道の書の作者は、人間の空しさを教えることによって神の知恵への覚醒を促しているのである。
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