思想の花びら | 2021年12月15日 |
● アラン (哲学者) のことば
無遠慮な作家あるいははずかしがりの作家は少なくない、力がないとはいわぬが、常に優美なものを欠いている。この危い修練で無上の均衡を物にしている作家を僕はほとんど知らぬ。必要なものはおそらく反抗でも戦いでもない、むしろ解放だ、こういう放縦の動きを計るのにかけては、羞恥より節度というものの方が一段とたくみなものだ。神々の歩いた道もそれだ。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
伝道の書は信仰について語るよりも、むしろ懐疑の声を次々と放っているわけで、信仰にとっては危険な書といえるかもしれない。しかし、旧約の中に敢えてこれを収めたところに、私は西洋の古人の深い知恵を感ずる。人生への深い懐疑なくして、信仰はないのみならず、信仰そのものへの懐疑もまた必要である。というよりは必然的につきまとうものだと思う。云わば対決の精神のないところに信仰そのものも鍛えられないということだ。信仰の敵は、決して懐疑ではなくむしろ軽信ではなかろうか。
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