思想の花びら 2022年 3月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  正しい意味での思想、研究を積み、読書によって固められ、あらゆる道を探索し比較し、要するにあらゆる試練に耐えてきた思想にしても、やはりこれを口にしようという要求の一つを義務だと考えてはならぬ。義務ではない、強い喜びだからこそ、僕らは作家のうちあけ話にことを欠かないのだ。うちあけ話をせずにいられないのなら常に作物によるべきだ、記憶に頼ってはゆがんだものになってしまう。しかも、常に読み飛ばすことができないようなすきのないものを書くべきだ。あらゆる ニュアンス を盛り、あらゆる疑惑を盛るべきだ、立派な古典的言語が、これを愛する人々に報酬として与えてくれるような幾多の意味をたたえた調和を盛るべきだ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  悪魔のこの 「現実的」 な叫びに対して、キリスト のまず念頭に浮かんだものは、人間の自由とは何かということではなかっただろうか。パン のために、人間は何ものかの奴隷になることがゆるされるか。奴隷から神の選民へという 「出 エジプト 記」 にみられる モーゼ の苦悩を、このとき キリスト は味わったにちがいない。「人の生くるは パン のみに由るにあらず」 とは、人間の奴隷状態からの人間解放の叫びではなかったか。
  「現実的なるもの」 は、汝に パン を保証するから汝の魂を売れというかもしれない。また、人間にはそれに応ずる永遠の弱点のあることも述べた。キリスト はこれに対して、魂の自由を第一義として、そこに人間の尊厳をおこうとしたことはあきらかである。

 


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