思想の花びら | 2022年 7月15日 |
● アラン (哲学者) のことば
どんなに金をためようとしたところで、だれからも生産物を奪うわけではなし、一時交換の手段を壟断するにすぎないからだ。この種の悪は小さい、人間の情熱をどんなに控え目に見積ったところが、人々が情熱に負う悪にはとうてい抵抗できないものだ。不正はそこにはない。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
「空の鳥を見よ」 (略) 一日の労苦という本来 ペシミシズム にみたされている筈のものを、それにとらわれることなくそのまま放下して、「空の鳥」 に帰れと言っているのだ。この一節の妙味は、キリスト が 「心の工夫」 を独得の表現で教えた点にあると私は思う。「心のもち方」、その転換の微妙な方法を告げようとしたものではないか。悪魔の最後のこころみの前に キリスト は十字架上で倒れたが、受難の悲劇の背後に、むしろそれをかえりみないような、空の鳥、野の百合の大らかな イメージ があったように思う。
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