思想の花びら 2022年 9月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  常に正しくありたいと願い、認められぬ権利のために戦うすべての暴君の口実を偽善だとは僕は決して考えない。なぜかというと、彼にいちばん嬉しいのは所有ではなく、所有権だからだ。同様に横領者というものも、要するに人々の承知を求めているのだ。彼がどんなに詭計を弄したりうそをついたりしたところが、プラトン がすでに洞察した深い人間真理、つまり隠れた正義がなければ不正も無力だという真理を覆うことはできぬ。野心は一つの理想だ、講和条約でよくわかるように、戦争は常に説得を目的とし、相手の要求をなだめようと骨をおるものだ。だから不屈な義人は強者なのだ。思想の見つけるものは常に思想だ、正義の皆無な思想とはもはや思想ではない、考えるとは認めるということだ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  さきに述べたように 「罪なきもの」 という一語が決定的なのだ。姦淫の罪を犯したものはこの女一人だけではない。あらゆる人間が、外面はともあれ心の中でそれを犯しているのではないかという暗黙の詰問がある。「色情を抱きて女をみるものは、心のうちすでに姦淫したるなり」 という言葉がここに明確に自覚されていたであろう。内在的な意味での罪の意識を、周囲の人々に一瞬にして呼び起したのである。
  聖書は訴えた者らが良心に責められて一人々々立ち去ったことをしるしているが、内在的な罪の自覚のうながしによって、各人は自己の内部に 「偽善者」 を感じたのである。このとき彼をとりまいていたのは群衆だが、群衆を一人々々に分断し、個人に復帰させ、一個の孤独な人間としての反省を一瞬にしてうながしたところに キリスト の権威があったと云ってよかろう。

 


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