思想の花びら | 2023年 1月 1日 |
● アラン (哲学者) のことば
謙遜は、自分になにごとも約束しない、つまり自分を他人からかれこれと期待される思考器械と考えないというところに成立する。(略) 真の思想家は、むしろ試練のうちに睡眠がくるようにあるいは喜悦と快活とが得られるようにと沈黙して祈念する、これは、自分には自分自身が必要だと思ったときに、ソクラテス がみごとにやってみせたところだ。たとえば、手をこまぬいて待っているより仕方がないのがれようのない危険に面接する場合のように、僕らの力や企図を超越した自然の巨大な光景を眼前にするということも、真の思索には有益なことだ。そういうのが試練というものの意味だ。諸君の孤独、諸君の僧院は、人々のまっただなかにあるものであってほしい。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
第三は、未完成という自覚である。様々な困難を設定し、そこで決断し、しかもそれで完璧であるかというと、人間の行動としてそういうことは絶対にありえない。ある場合には決断し拒絶するが、しかしそこで自己を固定化したとき、決断も拒絶もその生命を失うであろう。自分のこころみていることの一切は、永久に未完成だという自覚を伴わなければならない。(略) 怯懦の群の特徴は、あたりさわりのない生存をつづけるところにある。だから何びとにも喜ばれず、憎まれもしない。「我らも彼らのことを語らず、ただ見て過ぎよ」 と言っているのがそれである。完全に無視され黙殺される以上の悲劇があるだろうか。
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