思想の花びら | 2023年11月15日 |
● アラン (哲学者) のことば
僕らの習慣は僕らしだいというよりもはるかに物に依存している。(略) 僕らの思想を暗示するのは物だというが、それではとても言い足りないのだ、僕らの対象こと僕らの思想なのだ。だがとくに人間の手が扱うものが、順序や相称やさまざまな類似や反復によって、僕らの思想を混沌のうちから引き上げてくれる、そして思想は認識するとか計算するとかいう思想固有の機能に導かれる。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
宗教について語るということは、それを信じない人に対して語るということである。少なくとも無信仰の状態、あるいは信仰の危機の状態が念頭になければ語ることの張合いはない筈だ。そのとき神の教を上から説くのではなく、逆に人間の実態を明確に分析して、それがいかに不安定で不安にみちたものであるかを示し、その具体的な姿から逆に神の方へ赴かざるをえないように仕向けることが大切ではなかろうか。云わば人間の悲惨な状態への明晰性が前提である。信仰とはそもそもこうした明晰性を与えるものでなければならない。人間の悲惨へのそれは開眼である。この点で私に多くを教えてくれたのは パスカル の 「瞑想録」 であった。
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