2003年 7月 1日 作成 「理論編第 3章 (背理法)」 を読む >> 目次に もどる
2006年 4月 1日 更新  



 背理法は排中律 (A∨¬A) を前提にして成立する。
 しかし、排中律が 「無限」 のなかで成立する、という保証はない。

[ 参考 ]
 「無限」 を対象にしたとき、直観主義の観点に立って、排中律の使用を非難したのが、フ゛ラウワー (Brouwer L.E.J.) である。
 推論 (自然推論) では、ケ゛ンツェン (Gentzen, G.) は、排中律を使う体系 (NK) と排中律を使わない体系 (NJ) の 2つを提示した。ちなみに、NK は、ト゛イツ 語式に「エヌ・カー」 と発音し、NJ は 「エヌ・ヨット」 と発音する。

 しかしながら、排中律および背理法は、(「有限」 を対象にするときには) 「便利な」 考えかたである。
 たとえば、以下の推論を考えてみる。

  (A∧B) ⇒ A.

 数学では、以上の論理式は 「真」 とされる。
 背理法を使えば簡単に証明できる。

[ 証明 ]

 (1) (A∧B) を p とする。
 (2) (A∧B)⇒ A は、したがって、p⇒A となる。
 (3) p の真理値を 「真(T)」 とする。
 (4) A の真理値を 「偽(F)」 とする。

 (A∧B) の真理値表を以下に示す。





 (p⇒A) の真理値表を以下に示す。


p ⇒ A



 (A∧B) では、A および p が 「T」 であるにもかかわらず、(p⇒A) では、A が 「F」 になるのは矛盾する。したがって、A は 「T」 でなければならない。

 ちなみに、背理法を使わないなら、それでも、「A∨¬A」 を恒真として扱うことを前提にしていなければ、この論理式は成立しない。なお、恒真を 「I」 として扱う。

 (A∧B)⇒ A ≡ ¬(A∧B)∨A ≡ ¬A∨¬B∨A ≡( ¬A∨A)∨¬B ≡ I∨¬B ≡ I.

 さて、T字形 ER手法は、5つの ルール のなかで、排中律を使っている。
 entity を類別する際に、「event」 ではない entity は 「resource」 である、という前提がそれである。

 次回は、理論編第 3章を再び扱う。
 T字形 ER手法の正規形である 「主選言標準形」 について述べる。□



[ 補遺 ] (2006年 4月 1日)

 TM (T字形 ER手法) は、上述したように、entity の定義のなかで、排中律を使っている。

  (1) entity である = Df 認知番号を付与された対象である。
  (2) entity は、event と resource に類別される。
    (2)-1 event である = Df 性質として 「日付 (取引日)」 が帰属する。
    (2)-2 resource である = Df event 以外の entity である。

 当初、排中律を使うつもりはなかった。「event」 も 「resource」 も、それぞれ、定義しようと思っていた。シェファー 氏が示したように、「いかなる真理関数も、『¬p∨¬q』 あるいは 『¬p∧¬q』 を使って構成できる」 ので、「性質として日付が帰属しない」 entity を 「resource」 として定義しようかとも、当初、思った。しかし、現実的事実では、「認知」 は、「有ること (存在)」 を感知することだし、生起している事態を記述することが 「構造」 を作る目的なので、「有ること (存在)」 を定義するようにした。

 「event と resource」 は、「事態」 を構成する際に、関係の対称性・非対称性を示す性質を判断規準にして導入されたが、TM (T字形 ER手法) では、「事態」 は対照表として記述される。対照表は、すべて、「日付」 を付与することができるが、対照表のなかで、「認知番号を付与された」 事態を 「event」 としている。
 言い換えれば、TM (T字形 ER手法) は、aRb のなかで、a および b を 「resource」 として考えているので、「resource」 を、まず、定義しても良かったのであるが、「認知」 の観点から言えば、「resource」 が 「単独で」 存在することはない--かならず、「事態」 のなかに関与する--ので、「事態」 の認知が、まず、問われる。対照表そのものは、「可能態」--実際に生起していない事態--を記述することもできるので、まず、「合意された『事態の認知』」 を定義することにした。

 次に、「event と resource」 は、関係の対称性・非対称性を前提にしているので、どちらかいっぽうを定義すれば--TM (T字形 ER手法) は、「事態」 を記述する認知の観点から、「event」 を定義しているが--、もういっぽうは (entity のなかで) 補集合になるので、排中律を使うことができる。正確に言えば、構文論として、「観察述語 (事業過程・管理過程のなかで使われている語彙)」 を除けば、「経験的な検証」 を できるかぎり排除するために、「トートロシ゛ー」 を使いたかったので--「A∨¬A」 は 「トートロシ゛ー」 である--、排中律を使った次第である。そして、排中律を使えば、「event でも resoruce でもない」 とか 「event かつ resource である」 という境界線上の個体を排除することができる。というのは、「resource」 は 「日付が帰属しない」 という性質のみで定義できるかどうかという確証はなかったから。たとえば、以下を考えてみる。

  {部品番号、部品名称、有効日}.

 この 「部品」 entity は、日付 (有効日) が帰属しているが、「resource」 である。というのは、有効日は、「事態が起こった日」 を意味しているのではなくて、部品を適用する将来日 (可能日) を意味しているから。言い換えれば、「日付」 が いかなる性質であるか--「日付」 とは 「事態が起こった日」 であること--を最初に定義していなければ、判断できない。似たような現象として、以下を考えてみてほしい。

  {トラフ゛ル 番号、トラフ゛ル 発生日、トラフ゛ル 名称}. (本 ホームヘ゜ーシ゛ 37ヘ゜ーシ゛を参照されたい。)

 以上を まとめれば、(entity の サフ゛セット に対して、排中律を適用するなら、定義では、) 「まず、『日付』 ありき」。

 




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