2004年 1月 1日 作成 | 「基準編第9章 (クラス 論理)」 を読む | >> 目次に もどる |
2006年10月 1日 更新 |
クラス 論理を 1つの章とした理由は、クラス と セット の相違性 (あるいは同一性) を確認することにあった。クラス と セット を 「同じ概念である」 とみなす人たちもいれば、「相違する概念である」 と考える人たちもいる。クワイン (W.V. Quine) 氏は、クラス と セット を同一とみなしている(*1)。小生は、クワイン 氏の考えかたを歪曲したくないので、彼の考えかたに関して、彼の著作を直接に読んでいただきたい。 註(*1) 「哲学事典」、W.V. クワイン 著、吉田夏彦・野崎昭弘 訳、白揚社、1994年、43ページ 「クラス 対 セット」。 クラス と セット の違いは、事業のなかで使われている コード 体系では、種別 コード (クラス) と区分 コード (セット) という言いかたがされている。 T字形 ER手法は、コッド 正規形を前提にして、さらに、意味論を強く導入したが、セット・アット・ア・タイム 法は直積集合 (セット) を前提にしているので、T字形 ER手法も セット 概念を使っている。コッド 正規形では、セット は属性集合として考えられているので、サブセット という概念が使われていないが、T字形 ER手法が セット 概念 (セット および サブセット) を導入した理由は、データ の周延を検証して、「nested-IF」を排除して、「アルゴリズム の I/O 化」を実現するためである。
ただ、コッド 氏は、セット・アット・ア・タイム 法を拡張する やりかた として、1976年に、直積集合の タプル (tuple) として、主体集合--つまり、属性集合ではなくて、f (x) として成立する集合--を代入することを提示した。この概念が 「多次元 データベース」 の起点になったのだが、こうなれば、セット 概念と クラス 概念が同じように扱われているので、取り立てて、セット 概念を クラス 概念から切り離さなくても良いことになる。 さらに、セット・アット・ア・タイム の弱点の 1つである 「null」 を回避するために、相違の サブセット 概念をT字形 ER手法のなかに導入した。
クラス 概念と セット 概念の相違について、小生は、注意点を、「あとがき」 のなかで提示している。 註(:2) 国際組織、国と人には、それぞれ、認知番号が付与されている、という前提での考えかたである。 |
[ 補遺 ] (2006年10月 1日)
コッド 氏は、セット・アット・ア・タイム 法を拡張する やりかた として、1976年に、直積集合の タプル (tuple) として、主体集合--つまり、属性集合ではなくて、f (x) として成立する集合--を代入することを提示したが、TM (T字形 ER手法) は、それら (主体集合の タプル) を、集合 オブジェクト (あるいは、組 オブジェクト) と考えて、対照表とか再帰表として記述してきた。
TM (T字形 ER手法) では、entity (原子的値の定義域) を除いて、「複合構成が ひとつの『意味』 を示すならば」、「...表」 という名称を付して構成を記述する (対照表・対応表・再帰表)。それらの 「表」 は、「集合 オブジェクト」 か 「組 オブジェクト」 である。対照表は、(オブジェクト 指向の) 「関連 クラス」 に近い概念である。 「論考」 は、現時点で、小生の代表作だと思うが、「論考」 のなかで、対照表・対応表・再帰表を、「集合 オブジェクト」 あるいは 「組 オブジェクト」 として意味論的にまとめられなかった理由は、「論考」 が、構文論 (関係の論理) の検討を主たる論点にしていたからであり、かつ、TM (T字形 ER手法) の前提を 「写像理論」 から 「言語 ゲーム」 に移すのが精一杯の検討だったから。そして、「言語 ゲーム」 を前提にして、やっと、意味論を真っ向から検討できるようになった。 TM が コッド 関係 モデル を前提にしていながら、外見上、オブジェクト 指向に近い感じを与える理由は、対照表などのような複合構成を 「集合 オブジェクト」 (あるいは、「組 オブジェクト」) として記述するからかもしれない。しかし、TM は、オブジェクト指向を前提にしていない。TM は、「語-言語」 を対象にした 「論理的意味論」 である。 |
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