2004年 1月16日 作成 「基準編第 9章 (命題論理)」 を読む >> 目次に もどる
2006年10月16日 更新  




 コッド 正規形の弱点 (データ の並び、null 値) を改善しようとして、(コッド 正規形が前提にしている 「述語論理と セット 概念」 を使えば、同じことになるので)、小生が、最初に考えた点は、述語論理と違う やりかた を使うことであった。
 ただし、数学的な単純な ルール を、できるかぎり、崩したくなかった。というのは、エンジニア の個人的な価値観を前提にして、事業のなかで使われている データ の構造を生成したくないから。

 述語論理のかわりに、小生が使った理論は命題論理であった。「主語-述語 (性質)」 を 1つの単位として、以下の 2点を導入した。

 (1) 1つの複合文は、いくつかの単文の連言 (AND を使って結んだ文) として記述することができる。
    複合文とは、複数の主語をふくむ文のことをいう。
    単文とは、1つの主語から構成される文のことをいう。

 (2) 1つ モノ は、「主語-述語」 形式を使って記述できる。
    主語は 1つでなければならない。主語として、認知番号 (identifier) を使う。
    1つの主語に対して、1つ以上の述語が対応する (2つ以上の述語は、連言として記述される)。
    1つの モノ が認知されても、性質が記述されないこともある (述語ないこともある)。

 
 T字形 ER手法は、以上を前提にして、以下の考えかたを導入した。

 (1) モノ の記述
   T字形の左側には、主語 (認知番号) を記述し、T字形の右側には、述語 (性質) を記述する。
   述語は、前述したように、連言として考える(*1)

 (2) 関係の記述
   モノ と モノ との 「関係」 も、連言として考える(*2)

 
 以上の考えかたは、ウィトゲンシュタイン 氏の 「論理哲学論考」 を底本にして着想された。
 「論理哲学論考」 では、以下の 2点が述べられている。
 (1) 写像理論
 (2) 真理関数

 T字形 ER手法は、「論理哲学論考」 を底本にしながら、意味論 (event 概念と resource 概念) を導入した(*3)。ただ、「論理哲学論考」 を底本にしたがために、苦しんだ点は、「写像理論」 の扱いかたである。「写像理論」 とは、現実の事態と像 (言語を使って記述された文) の間には、対応関係が成立している、という考えかたである。

 ウィトゲンシュタイン 氏は、のちになって、「論理哲学論考」 のなかに述べられている考えかたを間違っていたとして、新たな考えかたを述べた 「哲学探究」 を執筆した。 [「哲学探究」 は、彼の死後、出版された。]
 「哲学探究」 では、「言語 ゲーム」 の考えかたが述べられている。

 さて、「写像理論」 を前提にしたら、データ 設計において、なにが論点になるのか、といえば、以下の 2つの設計作業を認めなければならない、という点である。
 (1) 概念設計
 (2) 論理設計

 概念設計とは、データベース 化の対象を調べる作業である。現実世界のなかで扱われている情報の構造や、情報の使いかたを調べることを目的としている。論理設計とは、概念設計のなかで記述された対象を、論理的な データ 構造や演算系として変換する作業である。
 事業のなかで使われている情報を データベース 化するという目的であれば、語-言語を使って記述されている情報のほかに認知の対象となる モノ があるかどうか、という点が論点になる(*4)
 しかも、モノ の認知は、1人の システム・エンジニア の価値観を前提にして形成されるのではなくて、事業に関与している人たちの 「合意」 が前提になっていなければならない。
 どのような モノ を認知して、それらの モノ を、どのように管理しているか、という点は、事業のなかで、語-言語の情報として記述されている。したがって、情報を解析にすれば、事業のなかで認知されているモノ を定立して、(モノ と モノ との間に成立している) 関係を読み取ることができる。

 1つの情報は複合文である。1つの複合文は、いくつかの単文の連言として記述することができる。
 単文として記述された モノ は、「性質」 を判断して、以下の 2つの範疇のいずれかに仕訳できる。
 (1) event
 (2) resource

 言語構造 (命題論理) を前提にして記述された モノ が、意味論 (event概念と resource概念) を援用して、「事態」 の構成として記述することができる。とすれば、概念設計と論理設計との境界線を消し去ることができる。

 とすれば、最大の論点になるのが、現実世界と言語との関係である。すなわち、言語のありかた が最大の論点になる。すなわち、言葉の意味は、現実の世界を写像していると考えるのか [ 意味の対象説 ]、それとも、言語の文法 (言語の使いかた) のなかで成立するのか [ 意味の使用説 ]、という点が論点になる。「情報を解析すれば、モノ の構造が記述できる」 と主張するためには、「意味の使用説」 を前提にしていなければならない--言い換えれば、写像理論を前提にしてはいけない。

 「論理哲学論考」 は 「意味の対象説」 を提示したが、「哲学探究」 は 「意味の使用説」 を提示した。とすれば、T字形 ER手法の底本を 「哲学探究」 のほうにしなければならない。しかも、真理関数という考えかたを遺しながら。
 拙著 「論理 データベース 論考」 は、(「論理哲学論考」 を真似して書名を付けたが (*5)) 「論理哲学論考」 を底本したT字形 ER手法の考えかたを、「哲学探究」 が提示した「言語 ゲーム」 の考えかたに移すために執筆した。拙著 「論考」 は、2000年に出版された。小生は、「哲学探究」 を、若い頃 (20歳代) から読んでいたが、理解できなかった、、、。「哲学探究」 を、やっと理解できるようになったのは、T字形 ER手法の前提を修正しようと思った頃 (1997年頃) になってからである。
 ちなみに、「哲学探究」 を理解するためには、数学基礎論を懸命に学習したことが手助けになった。数学基礎論を学習した理由は、拙著 「論考」 の 「まえがき」 のなかで述べておいたので、参照されたい。

 
[ 注釈 ]
(*1) 述語 (性質) の null は、サブセット として扱う。
(*2) 「『「基準編第9章 (関係の論理)』 を読む」 を参照されたい。
(*3) 「『「基準編第9章 (entity の種類)』 を読む」 を参照されたい。
(*4) ここでいう 「情報」 とは、インフォーマル・データ も対象にしている。
(*5) 「探究」 ではなくて 「論考」 とした理由は、「探究」 にすれば、小生が死んでから出版されてしまうから (笑)。
  T字形 ER手法の 「体系」 は、もう少々、修正しなければならない点がある。いま、修正のための研究をしている。
  修正版を、いずれ、出版するからには、ウィトゲンシュタイン 氏の 「探究」 の名称を借用する訳にはいかない。

 



[ 補遺 ] (2006年10月16日)

 本文は、2004年に綴られていて、本文の [ 註釈 ] のなかで、「T字形 ER手法の 「体系」 は、もう少々、修正しなければならない点がある。いま、修正のための研究をしている。修正版を、いずれ、出版するからには...」 と綴っているが、この修正版が 2005年 9月に出版した 「データベース 設計論--T字形 ER (関係 モデル とオブジェクト 指向の統合をめざして)」 (SRC社刊) である。

 拙著 「論考」 は、以下の 2点を主題として執筆された。

 (1) 構文論 (とくに、関係の論理) を検討する。
 (2) 意味論の前提を転回する (「写像理論」 から 「言語 ゲーム」 へ転回する)。

 この 2点のなかで、(2) が最大の検討事項であった。そして、いっぽうで、構文論 (「関係の論理」 に関する文法) を検討した。したがって、拙著 「論考」 では、意味論そのものを検討するほどの力 (ちから) は、当時、私にはなかった。

 意味論を再検討した著作が 「赤本 (「「データベース 設計論--T字形 ER」)」 であった。「赤本」 では、ウィトゲンシュタイン 氏の 「言語 ゲーム」 を前提にしながらも、意味論を検討するために、ホワイトヘッド 氏の形而上学や、カルナップ 氏の 「F-真、L-真」 概念や、ポパー 氏の 「第三世界」 概念を援用した。
 ホワイトヘッド 氏の形而上学や カルナップ 氏の 「F-真、L-真」 概念や ポパー 氏の 「第三世界」 概念が、ウィトゲンシュタイン 氏の 「言語 ゲーム」 概念と両立するかどうか という点は debatable だが、ウィトゲンシュタイン 氏の哲学のほかに、かれら (ホワイトヘッド 氏、カルナップ 氏、ポパー 氏、) の考えかたを援用した理由は、事業過程を対象にして管理過程の 「構造」 を作る際、システム・エンジニア の視点を抹殺することを私は最大の狙いにしていたからである。

 モデル (modeling) としての構成 {適用範囲、指示規則、生成規則、「真」 概念} を堅持しながら、事業の 「意味」 を記述することが私の最大の懸案事項であった。

 





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