2004年11月16日 作成 「文献編第14章 (数学の用語法と数の概念)」 を読む >> 目次に もどる
2007年 8月16日 更新  




 中学校・高校では、私は、数学を苦手でしたし、(数学が嫌だったので、) 高校・大学では、文科系を選びました。
 学校を卒業して、仕事をするようになってからも、数学とは、全然、縁がなかった。(コンピュータ の) プログラマ をやっていましたが、数学を知っていなければならない、という訳ではないし、会計学・経営学・生産管理の知識のほうが役立っていました。

 私が数学を再学習しなければならなくなった理由は、コッド 関係 モデル を、正式に学ぶためでした。コッド 正規形を作るなら、技術として、或る やりかた を知っていれば良いのであって、取り立てて、数学を知っていなければならない、ということにはならない。ただ、「ハウ・ツー」 として、正規形を作る技術を習っても、私は、どちらかといえば、根本となる原理・原則を知りたがるほうなので、コッド 関係 モデルの理論を知りたくなった。

 学生の頃に、数学を習得しなかった社会人が、あらためて、数学を学習する となれば、学習の手だてが、ほとんど、ない、というのが現状です。たとえば、大学や カルチャー・センター などで、(「生涯教育」 の一環として、) 社会人向けの講座が、多く開かれていますが、文学や歴史が対象になっても、数学が対象になることが、ほとんど、ない。したがって、数学を再学習しようと思っても、講座がない。とすれば、独習するしかない。

 しかし、独習するにしても、数学が嫌いだった人は、数学の体系を知らないので、どのような書物を読めば良いかも、わからない。どのような仕事・学問でも、その領域のなかで、独特な用語法 (基本概念、言いかた) があります--数学も、当然、そうです。

 数学の入門書を読んでも、入門書を執筆した専門家は、専門領域のなかにいるので、われわれ シロート が苦労する基本概念・用語法を、専門領域 (数学) では、「当たり前のこと」 として、説明してくれないことが多い。たとえば、「高々」 とか 「任意の」 とか 「一意的」 とか 「well-defined」 とかは、或る程度、普段の用語法として理解しても良いのですが、数学のなかで、どのように使われるのか、という点を、われわれ シロート は、なかなか、理解できない--なぜなら、そういう基本的な用語法を記した書物が、ほとんど、ないから。

 また、数学の式は、文章と同じであって、式の終わりには、「句読点 ( 。)」を打つことも、常識ですが、そういう常識は、式になじみのない われわれ シロート は知らないようです。

 社会人が数学を再学習する際、(数学の技術を仕事のなかで使うなら、特殊な数学的技術を学習しなければならないけれど、) おおかたの人たちにとって、大切な数学的技術は、「論理と集合」 ではないでしょうか。

 たとえば、集合論では、「集める (基数)」 と 「並べる (序数)」 が基本概念になっていますが、(「個体が メンバー である」 という固定概念に囚われていると、) 「集合を メンバー にする」 ことが理解できない。しかし、集合論では、集合も メンバー にできます。

 「並べる」 という概念では、「後続」 が 1つの概念になるので、「帰納関数」 が大切な技術になります。また、論理では、「論理の正しさ」 とは、恒真命題 (つねに、「真」 となる命題) のことを云いますが、恒真命題 (「つねに」、正しい、ということ) は、証明でしか示すことができない。言い換えれば、「つねに、正しい」 ことは、経験的・実験的に示すことができない。 したがって、「恒真とは証明できること」 を云います。そのことを 「完全性 (completeness)」 と云います。
 完全性を証明するには、無矛盾な 「モデル」 があることを示せばよい、ということです。したがって、「モデル」 という概念が、数学では、大切な概念となります。

 こういう基本的な考えかたを、(数学が苦手だった) シロート が、数学を再学習する際、知っていたら、学習が捗るでしょう。逆に言えば、こういう基本的な考えかたを知らなければ、数学の書物を、くりかえして読んでも、なかなか、理解できない、ということです。そして、数学を再学習しても、また、挫折してしまうでしょう。

 数学の書物を読む前に、こういう基本的な考えかたを習得するために、以下の書物を、ぜひとも、読んでください。

 ● 「数学 ビギナーズマニュアル」、佐藤文広、日本評論社

 まず、第 6章を読んでください。もし、余力があるのなら、それから、他の章を読めば良いでしょう。
 成人が、ちゃんと思考できるなら、「数式を理解できない」 ということは、絶対にない。もし、「理解できない」 としたら、前提を知らないので、論理を追跡することができない、ということでしょうね。 □

 



[ 補遺 ] (2007年 8月16日)

 「論理と集合」 に関して、私が興味を抱いている領域は、ロジック (論理学) と哲学であって、数学そのものではない。私は、「ウィトゲンシュタイン の哲学」 と 「ゲーデル の ロジック」 に興味を抱いている。そして、ふたりの考えかたを参考にして、私は、TM (T字形 ER手法) を作った。

 私が ロジック を学習する契機となったのが コッド 関係 モデル である。私は、30歳の頃 (今から20数年前)、RDB を日本に導入する仕事に従事していた。そのために、コッド 関係 モデル を理解しなければならなかったので、数学 (「論理と集合」) を学習した次第である。ただ、当時、ロジック を、しぶしぶ、学習したのであって、ロジック を魅力的な学問とは思ってはいなかった。いまでは、ロジック は私を魅了して、私の学習のなかで、一番の比重を占めている。私が ロジック の虜になった時期は、(「論理 データベース 論考」 を執筆した頃で、) 40歳なかばだったと思う。もし、いまの気持ちを高校生の頃にも感じていたら、私は、疑いもなく、ロジシャン の道を選んでいたと思う。「性質」 「関係」 と 「関数 (写像)」、「集合」 と メンバー、「集める (基数)」 と 「並べる (序数)」、「階数」 と 「次数」 などの基礎概念を、高校で、平明に教育すれば、「数学嫌い」 は、もっと減るでしょうに。「思想の花びら」 のなかで引用した ジャン・パウル (小説家) のことば を我が身につまされている。

    教科書のなかには、いつも何か いい事が書かれているのに、いい教師に めったに出会わないのは、
   どういうわけだろうか。

 ちなみに、拙著 「論理 データベース 論考」 は、私が モデル 理論を学習するための用意として執筆したのであって、「ロジック を平明に語ること」 を目的としていないので、読みにくい書物であることを ご了承いただきたい。拙著 「論考」 を執筆したあとで、私は、モデル 理論の学習に専念してきた。当時、モデル 理論を 拙著 「論考」 のなかに入れるかどうかを迷っていたのだが、いまだ、モデル 理論を まとめるまでに至っていなかったので、モデル 理論を入れなかった--今となっては、後悔している。ロジック の学習を、もっと、進めて、モデル 理論を理解してから、拙著 「論考」 を執筆すべきだったと思う。そのために、拙著 「論考」 は、モデル 理論を学習する準備としての役割に終わった入門書になった。ただ、拙著 「論考」 では、ロジック に関する基礎知識を網羅的に記述したつもりである。

 





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