2005年 2月16日 作成 「文献編第14章 (哲学史、辞典)」 を読む >> 目次 (作成日順)
2007年11月16日 更新  


 哲学史を学習する際、以下の 2つのやりかたがあるでしょうね。

 (1) 哲学の歴史として読む。
 (2) (集合論が出てきた前後の) 数学史と対比して読む。

 小生は、[ 拙著 「論理データベース論考」では、] (2) の観点に立って、哲学史を調べました。そういう観点に立って、「哲学と数学」 の相互作用を調べると、「ウィーン 学団 (Wiener Kreis)」 が、まず、争点になるようです。

 「ウィーン 学団」 は、1930年前後、科学者・哲学者・数学者が集まって--たとえば、シュリック 氏、カルナップ 氏、ノイラート 氏らが中核となって結成され (ちなみに、ゲーデル 氏も名を連ねていましたが、積極的には関与していなかったようですが)--、論理実証主義を提唱しました。「ウィーン 学団」 (あるいは、論理実証主義) に対する批評は、いまでは、「辛口」 の論調が多いようです--彼らの主義主張は、「急進的で単純過ぎる」 という論調が多いようです。

 なお、ウィトゲンシュタイン 氏や ポパー 氏は、「ウィーン 学団」 の人たちと交流していましたが、「ウィーン 学団」 には、直接に関与していない。ウィトゲンシュタイン 氏も ポパー 氏も、「ウィーン 学団」 (の考えかた) に対して、批判的でした。しかし、興味深いことに、ウィトゲンシュタイン 氏の 「論考」 が、「ウィーン 学団」 の バイブル になっていたようです--つまり、「ウィーン 学団」 の人たちは、ウィトゲンシュタイン 氏の考えかたを、間違って把握していたようです (--というよりも、彼らの主張を論証するために都合の良い読みかたをした、と言ったほうが正確かもしれないのですが)。
 そして、「論理哲学論考」 が、「ウィーン 学団」 の バイブル だったこともあって、ポパー 氏は、ウィトゲンシュタイン 氏と 「ウィーン 学団」 を、ほとんど、同じようにみなして、ウィトゲンシュタイン 氏の考えを、正確に読み取ろうとはしなかったようです。

 「ウィーン 学団」 は、第二次世界大戦の影響が及んで、1938年、「解散」 しました--その時点で、「ウィーン 学団」 の活動は 「終わった」 と言ったほうが良いのかもしれないのですが、「ウィーン 学団」 に参加していた人たちが、ウィーン を離れて (海外に) 職を得て、彼らの考えを、さらに、整えて、前進しました。たとえば、カルナップ 氏は、「意味論」 に対して、研究を進めました--彼は、当初、(論理実証主義の観点から、) 構文論を重視して、意味論を軽視していましたが。

 小生自身は、「ウィーン 学団」 の活動に対して、興味がないのですが、ウィトゲンシュタイン 氏との関係を調べるために、「ウィーン 学団」 に関する文献を読みましたし、カルナップ 氏や ポパー 氏が研究した 「意味論」 に対して興味を抱いていました。意味論として、ウィトゲンシュタイン 氏と カルナップ 氏と ポパー 氏では、どのような 「観点の違い」 があるのか、という点を調べたかった。「ウィーン 学団」 の貢献は、「認識における根源的なものを鋭い形で、また包括的に明らかにしようと努力した」 (クラーフト 氏の談)点にある、とのこと--クラーフト 氏は、「ウィーン 学団」の メンバー でした。
 まず、「ウィーン 学団」 を契機とした当時の考えかたを理解するために、以下の文献を読んでください。

 ● ウィーン 学団 (論理実証主義の起源・現代哲学史への一章)、ヴィクトル・クラーフト (寺中平治 訳)、勁草書房

 ● ポパー と ウィトゲンシュタイン (ウィーン 学団・論理実証主義再考)、ドミニック・ルクール (野崎次郎 訳)、国文社

 
 さらに、当時の哲学が、どのように整っていったのか、という点を理解するために、以下の文献を読んでください。

 ● 現代哲学基本論文集 T (フレーゲ・ラッセル・ラムジー・ヘンペル・シュリック・ノイラート・カルナップ)
  坂本百大 編、勁草書房

 ● 現代哲学基本論文集 U (ムーア・タルスキ・クワイン・ライル・ストローソン)
  坂本百大 編、勁草書房

 
 現代哲学基本論文集のなかから、自らの考えかたに近い人物を選んで、その人物の書物を、網羅的に集めて読めば良いでしょう。小生は、ウィトゲンシュタイン 氏を 「鑑」 にしているので、彼の全集を購入して、読み込んでいます。そして、フレーゲ 氏、ラッセル 氏、ホワイトヘッド 氏、ラムジー 氏、カルナップ 氏、ポパー 氏、クリプキ 氏と パース 氏を読んでいます (「読書案内」を参照されたい)。

 
 哲学辞典は、「小型版」 を避けて、「大型版」 を お薦めします。というのは、「小型版」 だと、記述が、小項目になって、かつ、(項目を説明する) 量が少ないので、「哲学思想」 を割り切ってしまう あやうさ があるから--その典型的な見本が、「ウィーン 学団」 に関する記述でしょうね。「大型版」 であれば、中項目・大項目も配慮してあるので、それぞれの思想が、どのような関係にあるのか、という点を示していますし、項目に対する記述も、「小型版」 に比べて多いので--それでも、(数式などのように簡潔に記述できない) 1つの思想を記述するには少ないのですが、「辞典」 という性質から判断すれば、しかたのないことですから--、「大型版」 を使うようにしてください。

 日本語版と英語版のそれぞれを購入したほうが良いでしょう。英語版のほうが、読んで理解しやすい。というのは、(日本語版が粗悪というのではなくて、) 「いくつかの (some)」 とか 「すべての (all)」 とか 「任意の (one among many、あるいは、数学的に、all)」 や 「与件の (the)」 という記述が、文法上、明示されるからです。
 日本語版では、以下のいずれかを (あるいは、2つとも)、お薦めします。

 ● 哲学・思想 事典、廣松 渉 ほか編、岩波書店

 ● 哲学事典、荒川幾男 ほか編、平凡社

 
 平凡社版は、出版年度が古いのですが (1971年)、捨てがたい。
 英語を使って、哲学を、すべて、学習ということは、まず、ないと思うので、英語版は、「小型版」 でも、かまわない、と思います--入手しやすい手軽な辞典として、以下のいずれかを (あるいは、2つとも)、お薦めします。

 ● PENGUIN DICTIONARY OF PHILOSOPHY、Thomas Mautner、PENGUIN BOOKS

 ● THE OXFORD COMPANION TO PHILOSOPHY、Ted Honderich、Oxford University Press

 

 



[ 補遺 ] (2007年11月16日)

 数学の定理であれば、証明済みなら、鵜呑みにしても良いのですが、哲学の思想は、辞典などで 「簡略に」 まとめられていても、鵜呑みにすることができない。この点が、哲学史や哲学辞典を読むときの難しさです。哲学の専門家が執筆した哲学史・哲学辞典の まとめ が間違っているというのではなくて、それらに記述された まとめ は、あくまで、それぞれの哲学者の 「視点」 を単刀直入に指示しているのであって、哲学者の 「思想」 を学ぶのであれば、「原典」 を読むほかはないでしょうね。たとえば、本 エッセー で綴った 「ウィーン 学団」 の考えかたは 「論理実証主義」 というふうに まとめられるのが ふつうですが、それぞれの 会員たちの思想には、ちがい が多い。したがって、哲学の思想では、「要するに」 という総括は危険極まりないでしょうね。喩えてみれば、書物の題名で、書物の中身を すべて 判断するような危険性でしょう。ただし、哲学史・哲学辞典は、使いかた次第で、とても役立つ書物です。哲学に限らず、語学や数学などでも、辞典を上手に使えるようになったら、案外、一人前なのかもしれない。

 





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