2001年 4月30日 作成 セット と クラス [ 歴史的概観 ] >> 目次 (テーマごと)
2006年 7月 1日 補遺  



 カントル G.(Cantor G.)が、19世紀の終わり頃、「集合論」を数学のなかに導入してから、「無限」という概念が認識の対象になった。カントルが集合論を導入して、数学が大きく変貌しようとしていたが、1901年、ラッセル B.(Russell B.)は、集合論のなかに潜む「パラドックス(逆理)」を発見する(*1)。

 ラッセルが提示した「集合論のパラドックス 」は、「自己自身を要素(「元」とも云う)とする集合」が存在するか(W∈W)、という論点であった。「存在する」としても、「存在しない」としても、いずれも、矛盾する帰結が演繹されることになる [ つまり、(W∈W)⇒¬(W∈W)、 逆に、 ¬(W∈W)⇒(W∈W)。](*2)。

 そのために、「全ての集合の集合(つまり、「集合の全体」)」のような、あまりに巨大な集合を「集合」として扱う訳にはいかなくなった。そこで、「あまりに巨大な集合」を作らないように、{x|f(x)}の替わりに、(対象の範囲を限定して){x∈a|f(x)}という形の集合が導入された(「x∈a」が範囲を限定している)。この「範囲を限定した」集合の考え方を「分出公理」と云う。
 しかし、分出公理を基礎にすれば、「無限」を扱うことができないので、そのほかに、「無限の公理」など、他のいくつかのルールを附加して体系化された公理系(「公理的集合論」)を提示した人物が、 ツェルメロ(Zermelo E.)とフレンケル(Franckel A.)なので、(二人の名前の頭文字を使って)、通常、「ZFの公理系」と云われている。この公理系が扱っている対象の集まりが 、セット(集合)概念である

 いっぽう、ラッセルは、「タイプ理論」を導入して、「集合論のパラドックス」を回避する。これが、後々、「クラス」概念の基礎となる。次回は、「タイプ理論」について解説する。□

 
 (*1)ラッセル以外にも、当 時、集合論に内在するパラドックスを発見した人々がいるが--
   カントル自身も、パラドックスに気づいていたが--、 ラッセルの考えたやり方が、一般的
   にウケが良いので、「ラッセルのパラドックス」として広く知られている。
    ちなみに、カントルの集合論は、現代では(現代の「公理的集合論」と対称して)、
   「素朴集合論」と云われている。

 (*2)この証明の詳細については、ここでは省略するので、拙著「論理データベース論考」や
   数学基礎論の文献を参照されたい。

 



[ 補遺 ] (2006年 7月 1日)

 数学では、集合に関して、セット 概念と クラス概念は相違する。

 ZF の公理系 (セット概念) では、「対の公理 (axiom of unordered pair)」 があって、「2つの集合 (たとえば、a と b) を メンバー とする集合 {a, b} が存在する」 ことを認めている。ただし、たとえば、集合 a が存在しているとすれば、集合 a 以外の 「補集合の全体という集合 (セット)」 を認めていない。すなわち、集合 a 以外の補集合全体の セット はないが、そういう クラス は存在する。この点が セット概念と クラス概念の相違点である。
 ただし、ZF で証明できる式は BG でも証明できるし、BG で証明できる式は ZF でも証明できる。

 したがって、セット概念と クラス概念を実質的に同じと考えるか、それとも、形式的には相違するので、相違する概念と考えるかは、数学者の哲学しだいかもしれない。ちなみに、クワイン 氏は、セット概念と クラス概念を同じに考えることを提案してきた。なお、数学者は クラス概念を使い、論理学者は セット概念を使う傾向にあるそうです。

 リレーショナル・データベース の基礎になった コッド関係モデル は セット概念を使っています。
 私 (TM [ T字形 ER手法 ]) も、セット概念を使っています。そして、私 (TM [ T字形 ER手法 ]) は、タイプ理論を使っていない (正確に言えば、タイプ理論を使わないように、TM を作りました)。




  << もどる ベーシックス すすむ >>
  数学基礎論