2004年 6月16日 作成 認知 と 検証 >> 目次 (テーマ ごと)
2008年 7月16日 補遺  


 
● T字形 ER手法が論点としているのは、感覚与件 (感覚データ) と モデル との関係である。

 いわゆる 「概念設計」 を対象にして、私が中核の論点にしてきた点は、感覚与件 (感覚 データ) と数学基礎論でいう モデル との関係に関する問題点です。この問題点を私が強烈に意識するようになった理由は、ウィトゲンシュタイン 氏の全集と ホワイトヘッド 氏の文献 (数冊) を読んでいたからでしょうね。

 かって、小生の 「論理 データベース 論考」 を書店で立ち読みした人が、参考文献として記載されている書物のほとんどが「論理実証主義」 を標榜した人たちの作であると即断して、「論理実証衆愚」 などという皮肉を、ウェッブ 上で、綴っていたそうですが、勝手な思い込みも甚だしい。なお、「論理 データベース 論考」 では、小生は、いまだ、ホワイトヘッド 氏の考えかたを理解できていなかったので、彼の書物を、参考文献のなかには記載しなかった──ラッセル 氏との共作 「数学原理」 には言及していますが、小生が読んだ文献は、その 「序論」 であって、「数学原理」 を読破していないので、「序論」 (邦訳) のみを参考文献として記載しました。

 ウィトゲンシュタイン 氏も ホワイトヘッド 氏も、論理実証主義を提唱してはいないし、参加していない。論理実証主義を提唱し推進した人物たちは、シュリック 氏、カルナップ 氏、ライヘンバッハ 氏、ノイラート 氏などである。「論理 データベース 論考」 の参考文献のなかには、カルナップ 氏の書物と ライヘンバッハ 氏の書物を記載していますが、論理実証主義に連なった人物の文献は、その 2冊しかない。哲学事典のなかには、ゲーデル 氏を、論理実証主義の範疇で記述している事典もありますが──ゲーデル 氏は、論理実証主義の グループ の一員として、名を連ねていたのは事実ですが──、彼は、論理実証主義の運動には積極的に参加していない。

 ウィトゲンシュタイン 氏の 「論理哲学論考」 と ラッセル・ホワイトヘッド 共作 「数学原理」 が、論理実証主義の指導的役割を果たしたそうですが、論理実証主義の人たちが、ホワイトヘッド 氏の提示した形而上学体系を、はたして、理解していたかどうか、という点は検討の余地がある、と思います。ちなみに、ゲーデル 氏は、ウィトゲンシュタイン 氏の 「論理哲学論考」 を読んでいなかったそうです (ゲーデル 氏自身の談)。

 小生の 「論理 データベース 論考」 は、ウィトゲンシュタイン 氏と ゲーデル 氏を中核にして、論を勧めているので、ウェッブ 上で、皮肉を言った件 (くだん) の人は、両氏が論理実証主義に連なっていると早とちりして (哲学の基礎知識のないままに──したがって、論理実証主義に関する正確な知識がないのにもかかわらず) 、「論理実証衆愚」 などという奇をてらった言いかたをしたのでしょう。

 
● T字形 ER手法は、当初、構文論として、推論 ルール を作ることを目的としていた。

 さて、「認知」 そのものは、当初、「生理学・心理学」 のなかで扱われていた概念でした。「認知」 には、生理学的側面と心理学的側面があって、生理学的側面では、「脳の情報処理」 が研究され、心理学的側面では、「学習」 作用が研究されてきました。そして、「認知」 の概念は、多様な精神活動と関連しているので、生理学・心理学のみならず、多くの学問領域が研究を進めています。情報科学では、パターン 認識・シミュレーション・記憶・学習 モデル・人工知能などが研究対象になっていますし、言語学では、言語獲得・言語理解・言語使用などが研究されています。
 これらの関連領域の学際的協力も進められており、それらをまとめて、「認知科学 (cognitive science) 」 と云っています。

 私は、データベース・エンジニア なので、データ 構造を記述するための形式的体系 (数理 モデル) のほうに興味を抱いていましたが、「認知」 には関心がなかった。したがって、私は、当初、ウィトゲンシュタイン 氏の 「論理哲学論考」 を参考にして──「真理関数」 と 「写像理論」 を参考にして──、T字形 ER手法を作りました。
 この時点では、コッド 関係 モデル が前提にしている関数従属性・包摂従属性を検討して、事業のなかで使われている データ には、「系列 (並び) が論点になる データ (event)」 と 「並びが論点にならない データ (resource)」 があって、それらの データ のあいだに成立する (null を排除した) 「推論 ルール」 を整えることしか考えていなかった。つまり、私の興味は、推論 ルール を作ることに向けられていて、モノ (entity) の性質が、2つの範疇として切り離すことができることを示したけれど、モノ (entity) の認知は、「コード 体系」のなかで、付番された番号 (identifier) を使えばよい、という程度の理解でした。ただ、「identifier」 の 「適訳」 が思い浮かばないことに苦しんでいましたが、、、。
 言い換えれば、私の興味のほとんどが、構文論に向けられていた、ということです。

 T字形 ER手法を構文論として整える際に、私を最大限に悩ました問題点が、いわゆる 「HDR-DTL」 の構造でした。すなわち、ウィトゲンシュタイン 氏の 「論理哲学論考」 を底本にして、T字形 ER手法を作ったので、T字形 ER手法は、タイプ 理論を使わない前提に立っています。そのために、「関係が、そのまま モノ になる」 という現象が、作図法 (相違の サブセット 間に リレーションシップ を作ること) として、整合的であるかどうか を判断できなかった。
 「HDR-DTL」が、実は、タイプ 理論でいう タイプ 2 の現象であることに、やっと、気づいたのは、「論理 データベース 論考」 を執筆していたときでした。

 
● T字形 ER手法は、当初、写像理論を前提にしたが、そのあと、認知の対象を再考しなければならなくなった。

 推論 ルール を整えたあとに、私が ぶつかった大きな壁は、写像理論でした。
 ウィトゲンシュタイン 氏の書物を、私は 20歳の頃から読んでいたので、彼が、「論理哲学論考」 のなかで扱っていた考えかた (写像理論および要素命題) が、「哲学探究」 のなかで、修正されたことを知っていました。ただ、私には、当時 (「論理 データベース 論考」 を執筆する 2年くらい前まで)、「哲学探究」 を、いくど、読み返しても、理解することができなかった、、、。

 このときに、私を悩ましたのが、(データ の) 「検証」 規準でした。「受注」 entity や「契約」 entity に対して、受注伝票や契約書などの原帳票が、監査証跡として、遺されるので、「データ 構造と モノ との対応」 は、比較的、整合的ですし、従業員や部門や商品なども、番号 (identifier) を付与された現実的な事物として確認できるので、単純な 「写像」 が成立するのですが、問題点となったのは、「カラー・コード」 や 「サイズ・コード」 という番号が、いったい、「現実の世界のなかで」、どのような モノ に対応するか、という点でした。
 この時点で、意味論が大きな関心事となりました。そして、モノ (entity) とは、いったい、どういう概念なのか、という点を再検討しなければならなくなったのです──技術的には (構文論のなかでは)、モノ (entity) とは、番号 (identifier) を付与されている対象という定義を使えば、推論 ルール 上、齟齬をきたさないのですが、意味論を扱うには、モノ (entity) を整合的に説明できなければ、モノ を、「event」 と 「resource」 として考え、「事業の実態を、『モノ と関係』 として記述する」 ことができない。

 このときに役立ったのが、ホワイトヘッド 氏の 「自然を対象とした科学的認識」 と、ウィトゲンシュタイン氏の 「哲学探究 (言語使用に関する考えかた)」 (および、「心理学の哲学」) でした。
 ホワイトヘッド 氏は、自然を対象にすれば、モノ として、以下の 4つを提示しています。

 (1) 持続する現実的な事物
 (2) 生起する現実的な事物
 (3) 反復する抽象的な事物
 (4) 自然の法則

 私は、(2) を 「event」 概念として考え、(1) を 「resource」 概念として考えていたのですが、(3) を気づかなかった。(3) は、たとえば、色合いとかです。すなわち、(3) が、たとえば、「カラー・コード」 や 「サイズ・コード」 を使って記述される モノ なのです。さらに、(4) は 「必然的な因果関係 (p → q)」 ですが、それに対して、事業は 「偶然的 (選択的) な因果関係」 にあることを意識するようになりました。

 
● モノ を認知する際、「合意」 された認知手段の 1つが 「コード 体系」 である。

 それらの モノ は、言語を使って記述されます。「認知」 は、きわめて、個人的 (生理学的・心理学的) な現象です。
 したがって、言語を使って モノ を記述するにしても、個人の価値観を前提にしています。

 事業では、情報は言語を使って伝達されます。事業のなかで使われている言語使用では、言語として記述されない膨大な生活様式が前提となって、言語の意味を構成しています。そして、情報は 「共有」 されます。言い換えれば、言語の使用では、言語外現象として、膨大な生活様式が 「共有」 されて、言葉の意味が 「合意」 されています。
 事業のなかで、モノ を 「認知」 する際、「合意」 された認知手段の 1つが 「コード 体系」 です。したがって、「コード 体系」 に対して、私的に従うことはできない。つまり、「コード 体系」 は、「合意された認知」 である、ということです。

 T字形 ER手法は、(「論理 データベース 論考」 を執筆した後で、) 「言語の形態論」 という色彩を、強く打ち出しています。その狙いは、(合意された) 「コード 体系」 を判断規準にして、データ 正規形を作り、言葉の使いかたを判断規準して、(モノ のあいだに成立する) 関係を記述するので、データ 構造は、事業の構成 (意味) を、セマジオロジー 的に記述している、ということです。「identifier」 のことを 「認知番号」 という訳にしたのは、「論理 データベース 論考」 を出版したあとでした。
 したがって、事業の analysis と データ の normalization を、「合意された」 認知規準を前提にして、1つの手法を使って実現するので──しかも、数少ない前提を起点にして、4つの推論 ルール を使い、形式的体系のなかの記述は、すべて、前提から導き出されるので──、システム・エンジニア の恣意性を、できうるかぎり、排除する点を狙っています。T字形 ER手法は、「反 コンピュータ 的手法」 です (笑)。



[ 補遺 ] (2008年 7月16日)

 本 エッセー を綴ったのは 4年前でした。今に至る 4年のあいだに、TM (T字形 ER手法の拡張版) は、用語法を いちぶ 変えてきました──「T字形 ER手法」 という言いかた から 「TM (および、TM’)」 というふうに、モデル の呼称を変えたのも、その ひとつです。

 本 エッセー の テーマ 「認知と検証」 に沿って言えば、「認知」 では、「認知番号 (identifier)」 のことを 「個体指定子 (entity-setter)」 というふうに言うようになりました。ちなみに、「個体指定子 (entity-setter)」 という言いかたは、Davidson 氏が使っていた用語です。この用語は、Davidson 氏の論文を集めた書物 「真理と解釈」 のなかで、どれかの論文で使われていたのですが、どの論文だったか 正確に引用できないので、この見事な訳語を記した翻訳者が──原文を分担して翻訳なさった訳者たちは、野本和幸 氏・植木哲也 氏・金子洋之 氏・高橋 要 氏ですが──誰なのか も、申し訳ないのですが、正確に引用できない状態です。
 ただ、「認知番号」 という言いかたを止めた訳ではないのであって、「認知番号」 「個体指示子」 および 「個体指定子」 を、それぞれ、適宜、使っています。

 そして、「検証」 では、(Tarski 氏の 「規約 T」 を自然言語に拡張した) Davidson 氏の 「T-文」 を使うようにしています。すなわち、

    言明 p が 「真」 であるのは、時刻 t において、事態 q と対応するとき、そのときに限る。

 TM の体系では、「認知」 と 「検証」 のあいだに、「構成 (生成規約に従った構成)」 があるのですが、T字形 ER手法の関係文法は、そのまま、TM でも使われています。ただ、「構成」 を検証する際に、Carnap 氏が示した以下の 「真」 概念を TM は導入しました。

  (1) 「(導出的な) L-真」
  (2) 「(事実的な) F-真」

 この 「F-真」 が、前述した 「T-文」 を満たす 「真」 です。

 さて、以上のような考えかたをしたときに、争点になるのが、「カラー・コード」 「サイズ・コード」 で指示される 「色」 「寸法」 の 「存在」 です。たぶん、純然たる意味では──すなわち、「T-文」 の テスト 対象として──、「色」 「寸法」 は、「概念的な構成物」 であって、「実存」 ではないのかもしれない。そこで、TM では、(事業過程・管理過程のなかで伝達されている 「情報」 の) 「意味」 を記述するために、「認知」 「構成」 そして 「検証」 という手順に沿って、以下の 3つの概念を中核概念にしました。

    「合意」 → 「L-真」 → 「F-真」

 すなわち、「合意」 では、「個体指定子」 を使って entity を認知して、次に、それら (entity) に対して関係文法を適用して 「L-真」 を構成して、最後に、関係文法に従って構成された オブジェクト (対象) に対して、「T-文」 の テスト を施して 「F-真」 を検証する、という手順が、そのまま、TM の体系になっています。本 エッセー の最後の文として 「T字形 ER手法は、『反 コンピュータ 的手法』 です」 と記していますが、単なる画法 (diagramming) を モデル であると言っている連中に対する皮肉であって、TM は、上述したように、モデル の規則を遵守しています。





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