2005年 4月16日 作成 認知、指示および コード 体系 >> 目次 (テーマ ごと)
2009年 5月16日 補遺  


 
 拙著 「黒本」 (「T字形 ERによる データベース 設計技法」)は、小生の思いのほか、マーケット では、好意的な評価を得ているようです。周りの人たちが小生に教えてくださった情報によれば、ウェッブ 上、いくつかの書評が、「黒本」 を好意的に批評して、読むことを薦めてくださっているそうです (ご推薦していただいた ご好意を感謝致します)。

 「黒本」 は、1998年の出版ですから、7年も過去の中身です。7年の歳月の流れのなかで、当然ながら、環境 (事業環境および技術環境) は変化してきて、T字形 ER手法も、環境変化に対応するように、改良をかさねてきましたので、7年前と今では、技術も理論も変化しています。「黒本」 が、今頃になって、ウェッブ 上で話題になっていることを、小生は聞いて、少々、戸惑いを感じています。

 「黒本」 の中身には、今となって、「間違い」 となった点が、いくつか、あります。それらを訂正するために、「論考」 (「論理 データベース 論考」) を、2000年に上梓したのですが、「論考」 のほうは、マーケット では、(数式の多い、むずかしい書物と判断されたのか、) 人気がないようです──「論考」 も、今になって気づいたのですが、サブセット に関して、1つの 「間違い」 を犯しています。

 「黒本」 の間違いを訂正して、いっそうの理論的検証 (entity 概念の検証、写像理論の否定、タイプ 理論の非使用、および言語 ゲーム の導入) を試みたのが 「論考」 ですが、T字形 ER手法の 「技術」 そのものは、「黒本」 と 「論考」 では、大きな変化はない──「黒本」 のなかで述べた サブセット を検証する技術のなかで、小生は、1つの間違いを犯しているのですが、そして、その間違いは、「論考」 にも、そのまま、継承されてしまったので、小生の ホームページ のなかで、それを訂正しています。サブセット 構成では、上下の階を入れ替えて、「意味」 が成立することは、起こり得ないのですが、当時 (「論考」 を執筆した時点でも)、小生は、それを理解していなかった、、、。
 もし、サブセット 構成のなかで、上下の階を入れ替えて、「意味」 が成立するなら、どちらかの区分 コード は、その entity には帰属しない、というのが正しい。

 「黒本」 と 「論考」 では、T字形 ER手法の技術そのものは、変化していないので、「黒本」 を対象にして、T字形 ER手法の技術を批評していただいても良いのですが、ウェッブ 上の論評 (書評) では、「identifier (認知番号)」 に関して、思い違いがあるようです。まわりの人たちから聞いた情報では、T字形 ER手法は、(コード 体系を起点にしているので、)「コード 至上主義である」 という論評が、ウェッブ 上、出ている、とのことです。

 T字形 ER手法は、コード 体系を 「万能」 である、と考えている訳ではないので、念のため。逆に、小生は、現行の コード 体系を、構造の妥当性および値の真理性という観点から判断して、「不備」 である、と考えています。「T字形 ER手法が、認知番号として、コード 体系を起点にしている」 理由は、意味論的に、指示関係 (モデル と言語外事実との対応) を理解しやすい、という点にある。そして、コード 体系のなかで管理 (認知) されていない個体であっても、(性質を内包として定立できる個体は、) 「みなし」 entity 概念を導入している。

 (意味論的に、) 指示関係が明示されている個体に対して、(構文論的に、) 生成規則に従って、構造を作る、という点が、T字形 ER手法の 「モデル」 としての考えかたです──「モデル」 として、個人の恣意性 (システム・エンジニア の認知力) を、極力、排除する、という考えかたです。
 そして、生成規則 (導出規則) に従って作られた構造のなかに、新たな 「個体」 (対照表および対応表) が出てきたら、つねに、指示関係を問う──たとえば、対照表なら 「event」 かどうか、対応表なら 「on-to mapping」 かどうか──という しくみ になっています。つまり、定義されていない新たな概念を、規則を破って導入しない (不意打ちがない)、という しくみ になっています。

 T字形 ER手法が、コード 体系を起点にしている理由は、あくまで、(意味論的に) 確実な指示関係を、まず、起点にする、ということであって、「コード 至上主義」 ではない点を、ご理解いただければ幸いです。コード 体系そのものは、前述しましたように、構造の妥当性および値の真理性から判断して、改訂しなければならない点が多い。そして、コード 体系の 「不備」 を炙り出すのも、T字形 ER手法の特徴の 1つです。



[ 補遺 ] (2009年 5月16日)

 本 エッセー の日付が 2005年 4月なので、「赤本 (データベース 設計論〜関係 モデル と オブジェクト 指向の統合をめざして)」 (2005年 9月出版) を執筆する直前に綴った エッセー ですね。本 エッセー を今読み返してみて、T字形 ER手法のことを 「コード 体系至上主義」 と断言している人たちに対して、私は穏やかに反論していますね (笑)。

 さて、モデル は、もし、数学基礎論の モデル 観を遵守しているのであれば、そして、言語哲学的意味論を配慮しているのであれば、論理的意味論として、現実的事態に対して以下の接近法をとるはずです。

 (1) ユーザ 言語を変形しない。
 (2) できるかぎり機械的に構成する。

 (1) を モデル の構成で遵守すれば、当然ながら、実地に使われている コード 体系 (すなわち、ユーザ の言語の使いかた) を変形しないはずです。したがって、TM (T字形 ER手法の改良版) は、モデル (論理的意味論) の考えかたを正統に・正当に遵守しているのであって 「コード 至上主義」 などと非難される謂われはないのですが、、、。T字形 ER手法のことを 「コード 至上主義」 と非難した人たちが、もし、数学基礎論の モデル を学習していないで、そして、言語哲学の意味論を学習していないで、そういうふうに言い切ったのであれば、かれらの高慢さに私は唖然とするしかない。

 もうひとつ厳しいことを言えば、「クラス」 概念を 「思いのままの (随意な) 概念」 というふうに思い違いしている人たちが多いようですが、そういう人たちは、「クラス」 概念を使おうが 「セット」 概念を使おうが、モデル では、無矛盾性・完全性が つねに問われるということを無視しているようですね (苦笑)。無矛盾性・完全性を無視した構成というのは、「でたらめ (いい加減)」 と同値です──少なくとも、コンピュータ の領域では。





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