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● ロタ゛ン (彫刻家)のことば 天才? そんなものは、けっして、ない。 |
● 道元禅師(禅僧)のことば 本証妙修 [ 修行が、そのまま、悟りである。]
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/ 2001年12月24日 / ▲ ページ の トップ / |
● ウィトケ゛ンシュタイン (哲学者)のことば はじまりを みいだすことは むずかしい。 |
● 伊東静雄(詩人)のことば そんなことは みんな どうでもよいことであった。 ただ 巨大なものが 徐かに 傾いているだけであった。
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/ 2001年12月31日 / ▲ ページ の トップ / |
● ロタ゛ン (彫刻家)のことば 芸術家よ、形成せよ。語るなかれ。 |
● 沢木興道老師(禅僧)のことば サ゛ッ と言うな。 アホ のくせして黙っとれ。
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/ 2002年 1月15日 / ▲ ページ の トップ / |
● シ゛ャン・シ゛ュネ (小説家、劇作家)のことば 詩とは、精根を涸らす努力によって得られる世界像である。ホ゜エシ゛ー とは意志的なものだ。 |
● 小林秀雄(文芸評論家)のことば 美しい花がある。 「花」の美しさという様なものはない。
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/ 2002年 1月31日 / ▲ ページ の トップ / |
● A. フランス (小説家)のことば よい小説とは果たしてどんな小説であるかということは容易でない。 |
● 薬山弘道大師(禅僧)のことば 思量箇不思量底。(箇の不思量底を思量す) |
/ 2002年 2月23日 / ▲ ページ の トップ / |
● シ゛ート゛ (小説家)のことば 大詩人になるということが価値あることではない。われわれは、ただ、純粋な詩人を目標にしなければならない。 |
● 芥川竜之介(小説家)のことば 最も善い小説家は「世故に長じた詩人」である。
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/ 2002年 3月 3日 / ▲ ページ の トップ / |
● ユコ゛ー (小説家)のことば 独創は不正確の口実に使われてはならぬ。 |
● 小林秀雄(文芸評論家)のことば 現実といふものは、それが内的なものであれ、外的なものであれ、人間の言葉というようなものと比べたら、凡そ比較を絶して豊富且つ微妙なものだ。そういう言語に絶する現実を前にして、言葉というものの貧弱さを痛感するからこそ、そこに文体というものについていろいろと工夫せざるを得ないのである。工夫せざるを得ないのであって、要もないのにわざわざ工夫するのではない。
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/ 2002年 3月17日 / ▲ ページ の トップ / |
● ロタ゛ン (彫刻家)のことば 辛抱強くあれ! 霊感をあてにするな、そんなものはないのだ。 |
● 芥川竜之介(小説家)のことば 天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。 |
/ 2002年 3月31日 / ▲ ページ の トップ / |
● ニュートン (科学者)のことば 私には、じぶんの生涯が、海辺の砂浜に遊ぶ一人の少年のようであったと思われる。 |
● 沢木興道老師(禅僧)のことば どっち向いて偉んだか。
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/ 2002年 4月15日 / ▲ ページ の トップ / |
● ヘ゛ートーウ゛ェン (作曲家)のことば Immer Simpler. |
● 道元禅師(禅僧)のことば 波もひき 風もつながぬ 捨て小舟 月こそ夜半の ひかりなりけれ
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/ 2002年 4月30日 / ▲ ページ の トップ / |
● フルトウ゛ェンク゛ラー (指揮者)のことば 全体を砕いて溶解し、またそれによって、私たちの音楽の場合を形象的に言えば、始源的な心的状況を再創造する、言わば創造に先行する混沌を再建し、その中からはじめて全体を新たに造形し直す、ただそれだけが作品を本源の形体において再現し、真に新しく創作することを可能にするでしょう。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば 自分の身上を忘れた花ほど滑稽なものはあるまい。 |
/ 2002年 5月15日 / ▲ ページ の トップ / |
● キ゛ットン (哲学者)のことば 方法から体系へ、道程から真理への微妙な変貌は、きわめて悪質な誘惑であると思う。 |
● 芥川龍之介(小説家)のことば 百足 「ちっとは足でも歩いて見ろ。」 |
/ 2002年 5月31日 / ▲ ページ の トップ / |
● ラスキン (美術評論家)のことば 人生は短い。 この書物を読めば、あの書物は読めないのである。 |
● 沢木興道老師(禅僧)のことば 金持ちを自慢する奴やら、地位を自慢する奴やら、サトリ を自慢する奴やら。 |
/ 2002年 6月15日 / ▲ ページ の トップ / |
● キ゛ットン (哲学者)のことば 思考には骨組みとなるような体系が必要であるが、しかし人間が存在の体系と等しくなることは、おそらく不可能であって、真の救いは体系よりも方法を選ぶことであろう。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば 北斎は化けものを描く名手であった。 |
/ 2002年 6月30日 / ▲ ページ の トップ / |
● ウィトケ゛ンシュタイン (哲学者)のことば 哲学は、本来的に、ただ詩作としてのみ書かれるべきである。 |
● 良寛和尚(禅僧)のことば 君看雙眼色 不語似無憂 [ 君看よや 雙眼の色 語らざるは憂なきことをしめす ]
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/ 2002年 7月15日 / ▲ ページ の トップ / |
● キケロ (政治家、哲学者)のことば 善い結果を得るためには、生来の才や手腕に頼るよりも、ただ一つの仕事に、終始、専心没頭することが大切である。 |
● 澤木興道老師(禅僧)のことば 実相は始末がついておる。 迷う張り合いがない。
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/ 2002年 8月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● シ゛ート゛ (小説家)のことば 金持のひとびとの軽蔑には容易に堪えられる。 |
● 良寛和尚(禅僧)のことば 世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我はまされる
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/ 2002年 8月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● モンテーニュ (思想家)のことば 私はじぶんの人生をつくり上げるために努力して来た。 それが私の職業であり、仕事であった。 |
● 沢木興道老師(禅僧)のことば ツクリモノ を一切ぶちこわして 中味を現 ナマ でやるのが 禅者の生活でなければならぬ。
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/ 2002年 9月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● シェークスヒ゜ア (劇作家)のことば 魚は食いたい、足は濡らしたくないの猫そっくり、「やってのけるぞ」の口の下から「やっぱりだめだ」の腰くだけ、 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば にせものは、美しさをおもてにあらわそうとしてつねに焦っている。 |
/ 2002年10月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ハ゜スカル (哲学者、数学者、物理学者)のことば 私は、この手紙をいつもよりもずっと長く書きました。 というのは、それを短く書く時間がなかったからです。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば 我々はなぜ愛情についてくりかえし語るか。 それは発見とともにある情熱だからだ。
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/ 2002年10月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● シオラン (哲学者)のことば 一滴の涙には微笑よりもずっと深い根拠がつねにある。 |
● 六祖壇経(禅の書物)のことば 説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう) [ 一物を説きしめすも すなわち中(あた)らず ]
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/ 2002年11月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● シオラン (哲学者)のことば ひとりの哲学者の遺すもの、それは彼の気質だ、、、。 |
● 澤木興道老師(禅僧)のことば 少住為佳 -- ちょっと一服すればいい。 |
/ 2002年11月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● シオラン (哲学者)のことば 自伝への題辞、すなわち私は罪という口実をもたぬ ラスコーリニコフ。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば ある時代の文化の低下を示す最も端的な例は、質問が露骨になり、回答が単純になることだ。
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/ 2002年12月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● シオラン (哲学者)のことば 一箇の神話として生きよ。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば あらゆる煩悩の中で最も捨て難いものは、自己に関する幻想である。
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/ 2002年12月16日 / ▲ ページ の トップ / |
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