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● シオラン (哲学者)のことば かっては自分もひとりの子どもであったことを想い出す。 それがすべてだ。 |
● 澤木興道老師(禅僧)のことば
自分が美味いものを食わんでもいい。また、出世せんでもいいが、しかし、人の美味いものを食いたがる気持ち、出世したがる気持ちもわからんような アホ では タ゛メ だ。
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/ 2003年 1月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ト゛ストエフスキー (小説家)のことば 愛情に満ち溢れた心には悲しみもまた多い。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
明日は消えてゆくかもしれないささやかな喜びを慈しむべきである。
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/ 2003年 1月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● シェークスヒ゜ア (劇作家)のことば 財布の許すかぎり、身のまわりには金をかけるがいい、といって、けばけばしく飾りたてちゃいかん。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
驚異すべき秘密をこっそりと内にひそめた平凡さ、これが自然というものではなかろうか。
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/ 2003年 2月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● アント゛レ・モーロア (作家・評論家)のことば 生きる技術とは、ひとつの攻撃目標を選び、そこに力を集中することである。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
抹殺されたものに素早く眼をむけること、それが叡知というものである。
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/ 2003年 2月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● シェークスヒ゜ア (劇作家)のことば わたしはこの世をただこの世として見ている。 |
● 亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
日常生活とは平凡きわまるものである。 |
/ 2003年 3月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● シオラン (哲学者)のことば 狂熱や執拗な不安感を鎮めるには、自分の葬式の情景を思い描いてみるにかぎる。 |
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亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
大都会では自然は失われてしまった。新鮮な空気も、緑の樹木も、鳥や虫の声も消滅しつつある。しかし真の悲劇は、多忙と過労によって、人間の人間らしい声も失われつつあるということだ。我々は「叫んで」生きている。
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/ 2003年 3月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● シラー (詩人)のことば 生きるとは、夢みることだ。 賢明であるとは、.....こころよく夢みることだ。 |
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芭蕉(俳人)のことば
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
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/ 2003年 4月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● エッシェンハ゛ッハ (小説家)のことば
あなたの夢が、一度も実現されなかったからといって、みじめに思ってはいけない。 |
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亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
歴史は二度とくりかえさない。しかし悪いことにかぎって幾たびもくりかえすように思われるのは、悪いことの可能性が人生には はるかに多いからだ。希望の予言よりも絶望の予言のほうが当たる。
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/ 2003年 4月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ハ゜スカル (哲学者、数学者、物理学者)のことば ひとは、ひとりぼっちで、死ぬであろう。だから、ひとりぼっちであるかのように、行為すべきである。 |
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亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
しかし不安なので、何ものかの力をかりて「陶酔」しようとする。--これが病気になる前の病状である。
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/ 2003年 5月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● スタンタ゛ール (小説家)のことば おのれの苦悩を精細に観ることこそ、おのれの心を慰める手段である。 |
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吉田兼好(歌人)のことば
智恵出でては偽あり。才能は煩悩の増長せるなり。
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/ 2003年 5月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● コ゛ーコ゛リ (小説家)のことば どうかすると、この人生では、知恵の多いのが、ぜんぜん知恵がないよりも悪いことがしばしばある。 |
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澤木興道老師(禅僧)のことば
ユカ゛ミ のとれたところを宗といい、ひっきょう空という。
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/ 2003年 6月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● フ゜ーシキン (詩人)のことば 判断を焦ってはならない。一晩眠れば良い知恵がでる。 |
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亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
愛について羞恥心なく語る人がいるように、死についても羞恥心なく語る人がいる。
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/ 2003年 6月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ウィトケ゛ンシュタイン (哲学者)のことば 哲学における君の目的は何か? 蠅に蠅取り壺から脱出する路を示すことである。 |
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亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
薬の濫用というが、実は「即効薬」を濫用しているのだ。 |
/ 2003年 7月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ケ゛ーテ (詩人、小説家)のことば ひとはどれほど隠遁して暮らしていようと、いつのまにか、債務者か債権者になっている。 |
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芥川龍之介(小説家)のことば
自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることはできない。
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/ 2003年 7月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● モンテスキュー (法制史家)のことば 神は、人間に頭脳をお授けなったとき、その中身まで保証しようとはされなかった。 |
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亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
おたがいに意見を述べる会合に出席して、何も言わないと、あとで後悔する。言葉があまっているからである。 |
/ 2003年 8月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ラフ゛レ (人文学者)のことば 幕を降ろせ。 喜劇は終わった。 |
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亀井勝一郎(文芸評論家)のことば
明快に言いあらわすことは大切だ。 しかし無神経なために明快である場合もある。
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/ 2003年 8月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● アウク゛スチヌス (キリスト 教思想家)のことば 当時、私は、ぎっしりいっぱいの空虚であった (copiosa egestas)。 |
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親鸞(仏教僧)のことば
信じるほかに別の仔細なきなり。
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/ 2003年 9月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● 旧約聖書のことば 魂の憂は骨を枯らす。 |
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芥川竜之介のことば
矜誇、愛慾、疑惑--あらゆる罪は三千年来、この三者から発している。同時に又恐らくはあらゆる徳も。
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/ 2003年 9月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● キ゛ットン (哲学者) のことば
発想に富んだ豊かな頭脳をもつことは、決して危険なことではない。 |
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澤木興道老師 (禅僧) のことば
修行して ホ゛ツホ゛ツ さとりをひらくのではない。
うっかりすると仏法を階段のぼることのように思うてしまうが、そうじゃない。 |
/ 2003年10月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● キ゛ットン (哲学者) のことば 存在の様相はどれほどさまざまであっても、存在というものは一つである。 |
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澤木興道老師 (禅僧) のことば
空手還郷でなければならぬ。空手でなければ、何ぞ クセ がついているわけだ。 |
/ 2003年10月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ツルケ゛ーネフ (小説家) のことば
ああ、いかにも自己満足的な、不屈な、安価にあがなわれた善行の醜悪さよ。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
ほめられると、それが誤解からであっても、自分は理解されたと思いこむ。 |
/ 2003年11月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● アラン (文芸評論家) のことば 規則をもたぬ即興は美しくない。 |
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澤木興道老師 (禅僧) のことば
意識に映った影を、また、蒸し返してみるのを妄想という。
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/ 2003年11月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ウ゛ァレリ- (詩人) のことば アキレス が空間や時間のことを考えていては、亀の子を追い越すことはできない。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
生きるとは執着することだ。 同時にこれが一切の迷いと悪の根源である。
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/ 2003年12月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● コ゛ーリキー (小説家) のことば すべてのものごとには終わりがある。したがって忍耐は成功をかちうる1つの手段である。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
自分の耳に快い言葉の大半は、気休めの言葉である。
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/ 2003年12月16日 / ▲ ページ の トップ / |
[ END ] |
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