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● ケ゛ーテ (小説家) のことば
我々は生まれつき、 |
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澤木興道老師 (禅僧) のことば
「鉄牛は獅子吼を恐れず」と言うが、そりゃそうじゃ。生物の弱点がないから。
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/ 2004年 1月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● キケロ (政治家) のことば 手紙では、ひとは赤面しない。 |
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澤木興道老師 (禅僧) のことば
「よかった、よかった」と、何がよかったのかといったら、「自分の思いどおりに行った」というだけのこと
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/ 2004年 1月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● スヒ゜ノサ゛ (哲学者) のことば 人間にとって、人間ほど有益なものはない。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
我々は新聞の活字の大小によって左右されながら生きている。
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/ 2004年 2月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● スヒ゜ノサ゛ (哲学者) のことば 至福は徳の報酬ではなく、徳そのものである。 われわれは快楽を抑えるから至福を楽しむのではなく、むしろ逆に至福を楽しむから快楽を抑えることができないのである。 |
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「書経」 のことば
人を玩(もてあそ)べば徳を喪(うしな)ひ、物を玩べば志を喪ふ。
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/ 2004年 2月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● キケロ (政治家、雄弁家) のことば なんじは生きるために食うべきで、食うために生きるべきではない。 |
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清少納言(宮女、文筆家) のことば
ふみことば なめき人こそ、いと にくけれ。世を なのめに書きなしたる詞のにくきこそ。
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/ 2004年 3月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ショ-ヘ゜ンハウアー (哲学者) のことば 運命が カ-ト゛ を混ぜ、我々が勝負をする。 |
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道元禅師(禅僧) のことば
愛名は犯禁よりもあし、 |
/ 2004年 3月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● モーリアック (小説家) のことば 死ぬまでに1つの心だけにでも、深く分け入ることができたら、それで幸せとしなければなるまい。 |
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謡曲 (「熊坂」) のことば
迷ふも悟るも心ぞや。
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/ 2004年 4月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● キ゛ットン (哲学者) のことば 無意味な現実というものはない。 |
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「太平記」 のことば
威あつて道なき者は必ず亡ぶ。
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/ 2004年 4月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ケ゛ーテ (小説家) のことば 人間は努力しているあいだは、迷うにきまったものだ。 [ ファウスト ] |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
すべての表現が、宣伝の性格を帯びることほど言語生活にとって危険なことはない。
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/ 2004年 5月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● A. フランス (小説家) のことば
道徳とは風習の科学である。それは風習とともに変化する。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
中途半端の外来語と、崩れた日本語と、その混血が、現代の言語生活の悲劇である。
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/ 2004年 5月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ミュッセ (詩人) のことば
苦悩こそ人生の真のすがたである。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
感動を失ってただ刺激だけを求め、 |
/ 2004年 6月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ショハ゜ン (作曲家) のことば 私の思い出に モーツァルト の曲を弾いてください。 (遺言) |
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白隠 (禅僧) のことば
衆生の外に仏なし。 (「坐禅和讃」)
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/ 2004年 6月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ケ゛ーテ (小説家) のことば 考える人間の もっとも美しい幸福は、究めうるものを究めてしまい、究めえないものを静かに崇めることである。 |
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一休 (禅僧) のことば
くもりなき一つの月をもちながら、浮世の雲に迷ひぬるかな。
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/ 2004年 7月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ケ゛ーテ (小説家) のことば 世の中のものはなんでも我慢できる。しかし、幸福な日の連続だけは我慢できない。 |
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澤木興道老師 (禅僧) のことば
「悟った」と言えば、一歩 余計じゃ。 「悟っていない」と言えば、一歩 足らぬ。
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/ 2004年 7月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● アラン (哲学者) のことば 人間は、意欲すること、そして創造することによってのみ幸福である。 |
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道元禅師 (曹洞宗の開祖) のことば
眼横鼻直 (がんのうびちょく)。 |
/ 2004年 8月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● アラン (哲学者) のことば
幸福とは、 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
深夜に、ただひとり自分の顔を鏡にうつしてみることだ。自分の顔を眺めていると、ふと異様なものが、表情の底の方あらわれることに気づくにちがいない。それは表情とはちがう。自分の最も執着し思い悩んできたものが、顔にもたらした変形作用であり、あるいはその翳(かげ)である。実はそれがあなたの幽霊なのだ。
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/ 2004年 8月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● エッシェンハ゛ッハ (小説家) のことば 他人が幸福でないことは、ごく当たり前のことに思われるが、自分自身が幸福でないことは、つねに納得がいかないものだ。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
作者たちの悲しい妄想は、自分を埋もれてゆくもののなかにけっして数えないことである。農具のように容赦なく捨てられる自己を考えることができないことである。「高級」という妄想のしからしむるところである。
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/ 2004年 9月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● モンテルラン (小説家) のことば 幸福な一日とは、彼らにとっては、電話を沢山かけた日、つまり、自分の重要さを示した日のことである。 |
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道元禅師 (曹洞宗開祖) のことば
水鳥の ゆくもかへるも 跡たえて されとも 道はわすれさりけり
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/ 2004年 9月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ルナール (小説家) のことば 幸福であるだけでは十分でない。 そのうえ、他人が幸福でないことが必要なのだ。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
現代人の失っているもの。 それは「静かで激しい拒絶」である。 |
/ 2004年10月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● サント・フ゛ーウ゛ (批評家) のことば ある年頃になって幸福になる方法は、よい機会を見て他人と没交渉になることであろう。 |
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良寛 (禅僧) のことば
災難にあふ時節には災難にあふがよく候。 |
/ 2004年10月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● メーテルリンク゛ (詩人) のことば 人間の不幸は、すべて、自分が路上の人にすぎないことを理解しようとしない点に由来している。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
一切の執着から離れよとは、人間として不可能なことだ。 不可能な教えだ。 しかも敢えてそれを信じようとするところに、人間の深い叡知がある。 「不可能」を設定することによって、生の実体を見きわめる明晰の眼を開こうというこである。 もし人間に可能なことだけを説いていたら、われわれはその可能なことを、可能であるという理由のもとに実行しないであろう。
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/ 2004年11月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● シャルト゛ンヌ (小説家) のことば うまい食事、友情、健康、恋愛、物の所有などが、貧しい人々の楽しみである。 |
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鴨長明 (随筆家) のことば
身を知り、世を知れば、願はず、わしらず (世事に奔走しない)。 |
/ 2004年11月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● エッシェンハ゛ッハ (小説家) のことば 後悔とはなにか。 われわれが、あるがままの おのれ でしかないという1つの大きな悲しみである。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
大切なことは、自分が身につけたと思い込んでいる教養のすべてを、根底から破壊してみることである。
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/ 2004年12月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ホ゛ート゛レール (詩人) のことば
人生には、真の魅力が、ただ1つしかない。それは「賭博」の魅力だ。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
仏像は礼拝の対象であって、美術品ではない。
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/ 2004年12月16日 / ▲ ページ の トップ / |
[ END ] |
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