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● フロヘ゛ール (小説家) のことば
旅行は人間を謙虚にします。 |
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吉田兼好 (歌人) のことば
月の夜、雪の朝、花のもとにても、心長閑 (のどか) に物語して盃出したる、万の興をそふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入り来て、とり行ひたるも心慰む。冬せばき所にて、火にて物いりなどして、へだてなきどちさしむかひておほく飲みたる、いとをかし。
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/ 2006年 1月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● アラン (哲学者) のことば 制服というものは、人間に安堵と尊厳とを同時に与える。そしてあらゆる服装は多かれ少なかれ制服である。 |
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吉田兼好 (歌人) のことば
人は己をつづまやかにし、おごりを退けて、財 (たから) をもたず、世を貪らざらんぞいみじかるべき。 |
/ 2006年 1月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ラ・ロシュフコー (批評家) のことば 賢人は勝負に勝つよりは勝負に加わらないことを利とする。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
あらゆる仕事において最上の境地とは、無心ということである。奉仕しながら、奉仕しているような顔をせず、熟練しながら、熟練しているような顔をせず、額 (ひたい) に汗を流して夢中で働いている時が人間の最も崇高な生である。
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/ 2006年 2月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ホ゛ート゛レール (詩人) のことば
ぼくが、いくらかでも偉くなったのは、暇のせいだ。 |
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芥川竜之介 (小説家) のことば
古来賭博に熱中した厭世主義者のないことは如何に賭博の、人生に酷似しているかを示すものである。
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/ 2006年 2月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● マルクス・ホ゜ルキウス・カトー (政治家) のことば きみのほしいと思うものを買うな。 必要なものだけを買え。 |
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吉田兼好 (歌人) のことば
心は必ず事にふれて動く。 仮にも不善のたはぶれをなすべからず。
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/ 2006年 3月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● アント゛レ・フ゜レウ゛ォ (評論家) のことば 伝染病に罹っているひとは、隣人も感染したことを知ると、大いに安堵の胸を撫でおろす。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
耶蘇は真理であっても、真理として刑されたのではない。ローマ 人の眼には二人の盗賊と同列に扱って然るべき罪人であった。最後にうけた この激しい屈辱、これが耶蘇の死の鮮かさであり、眠れる者を覚醒しむる衝撃となったにちがいない。
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/ 2006年 3月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● モンテルラン (小説家) のことば
文学上の仕事にはかならず、敗北者のみっともない泣きごとがつきものだからいやになる。 |
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松尾芭蕉 (俳人) のことば
旅の具多きは道のさはりなり。
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/ 2006年 4月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ケ゛ーテ (小説家) のことば 表現の固有性ということが、すべての芸術の初めであり終わりである。 |
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亀井勝一郎 (文芸評論家) のことば
空想してはならない。 |
/ 2006年 4月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● スタンダール (小説家) のことば 表現は芸術のすべてである。表現のない絵画は、一瞬眼を喜ばす映像であるにすぎない。 |
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順徳天皇 のことば
一切、芸は学せずして、その能をあらはすことなし。
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/ 2006年 5月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● アンドレ・マルロー (小説家) のことば 芸術家の最初の素材は、決して人生ではなく、つねに他の芸術作品である。 |
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吉田兼好 (歌人) のことば
年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし。
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/ 2006年 5月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● コクトー (詩人) のことば 芸術は科学の肉化したものである。 |
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世阿弥元清 (能役者) のことば
命には終あり。能には果 (はて) あるべからず。
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/ 2006年 6月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ジード (小説家) のことば 芸術を熟させるための忍耐と努力は、おそらく、その後それを腐らすまいとする忍耐と努力とに較べれば、物の数ではあるまい。 |
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吉田兼好 (歌人) のことば
能をつかんとする人 「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」 と常に言ふめれど、かくいふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固いかたほなるより上手の中に交りて、毀 (そり) り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、妄りにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、双 (ならび) なき名を得る事なり。
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/ 2006年 6月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● シラー (詩人) のことば
大衆が芸術を低下させるという、よく聞かれる主張は真実ではない。芸術家が大衆を低下させるのであり、芸術が堕落した時代には、それは つねに芸術家によって堕落させられたのだ。
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芥川竜之介 (小説家) のことば
シェークスピア も、ゲーテ も、李太白も、近松門左衛門も滅びるであろう。しかし芸術は民衆のなかに かならず種子を残している。わたしは大正十二年に 「たとい玉は砕けても、瓦は砕けない」 と云うことを書いた。この確信は今日でも未だに少しも揺がずにいる。
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/ 2006年 7月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● シューマン (音楽家) のことば
人間の心の深みへ光を送ること--芸術家の使命。
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松尾芭蕉 (俳人) のことば
古へより風雅の情 (こころ) ある人々は、後 (うしろ) に笈 (おひ) をかけ草鞋に足を痛め、破笠に露霜をいとうて、おのれが心をせめて物の実 (まこと) をしる事をよろこべり。
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/ 2006年 7月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● A. フランス (小説家) のことば
芸術家は人生を愛し、その美しさを われわれに見せてくれなければならぬ。世に芸術家というものがなかったら、われわれは人生の美しさを とうてい本当には知らないであろう。
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坂口安吾 (小説家) のことば
美というものは物に即したもの、物そのものであり、生きぬく人間の生きゆく先々に支えとなるもので、よく見える目というものによって見えるものではない。美は悲しいものだ。孤独なものだ。不幸なものだ。人間がそういうものだから。
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/ 2006年 8月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ゲーテ (小説家) のことば
俗物は、じぶんとは異なる状態を否定するばかりでなく、すべての他の人間たちも じぶんと おなじ仕方で生活すべきだと思っている。
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世阿弥元清 (能役者) のことば
至りたる上手の能をば、師によく習ひては似すべし。習はで似すべからず。上手は、はや究め覚え終りて、さて、安き位に至る風躰 (ふうてい) の、見る人のため面白きを、唯 (ただ) 面白きとばかり心得て初心、是れを似すれば、似せたりとは見ゆれども、面白き感なし。
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/ 2006年 8月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● レッシング (劇作家) のことば
僕に真似のできにほど器用な動物がいたら言ってみたまえと、猿が狐に向かって自慢した。すると狐は答えた。君の真似をしようという気になるような、くだらない動物がいたら、言ってもらいたいものだ。わが国の作家たちよ、私はもっとはっきりと説明する必要があるのだろうか?
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松尾芭蕉 (俳人) のことば
かりにも古人の涎 (よだれ) をなむることなかれ。(略) この道に古人なし。
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/ 2006年 9月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ゲーテ (詩人) のことば
ちかごろの詩人たちは インキ に水をたくさんまぜている。
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夏目漱石 (小説家) のことば
私は始めて文学とは何 (ど) んなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。
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/ 2006年 9月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● サント・ブーヴ (文芸評論家) のことば
詩に対する嗜好ぐらい、異説が多くて、不確定なものは少ない。如何なる時代の青年詩人たちでも、「われわれの詩が最も美しい」 と言っているが、これは 「私の恋人が最も美しい女だ」 と言っているのと同じことだ。
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古今和歌集 のことば
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、いひいだせるなり。花になく鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地 (あめつち) を動かし、目に見えぬ鬼神 (おにがみ) をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心もなぐさむるは、歌なり。
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/ 2006年10月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● ボードレール (詩人) のことば
長い詩については、つまり こう考えればいいのです。それは短い詩の書けない連中の拠りどころだとね。人間が詩形に払える注意力には限度があり、長すぎる詩というものは すべて、一篇の詩ではないのです。
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小林秀雄 (文芸評論家) のことば
私は、詩人肌だとか、芸術家肌だとかいふ乙な言葉を解しない。解する必要を認めない。実生活で間が抜けていて、詩では一ぱし人生が歌えるなどという詩人は、詩人でもなんでもない。詩みたいなものを書く単なる馬鹿だ。
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/ 2006年10月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ボードレール (詩人) のことば
つねに詩人であれ、たとえ散文の場合にも。
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本居宣長 (国学者) のことば
ただの詞は、その意をつぶつぶといひつづけて、ことはりはこまかに聞ゆれども、なほいふにいはれぬ情のあはれは、歌ならではのべがたし。
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/ 2006年11月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● A. フランス (小説家) のことば
表現法の新しさや或る芸術味などだけによって価値のあるものは、すべて速かに古臭くなる。
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坂口安吾 (小説家) のことば
すくなくとも、僕は人の役に多少でも立ちたいために、小説を書いている。けれども、それは、心に病める人の催眠薬としてだけだ。心に病なき人にとっては、ただ毒薬であるにすぎない。
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/ 2006年11月16日 / ▲ ページ の トップ / |
● ルソー (思想家) のことば
他の作家のように文章に凝って文字にあくせくしていると、じぶんというものが描けない。それに粉飾を施してしまうおそれもある。私が書きたいのは、自分という人間で、美しい本ではない。
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小林秀雄 (文芸評論家) のことば
作品とは自然の模倣を断じて出ることはできないのであって、作品とは芸術家が心を虚しくして自然を受け納れる その納れ方の刻印であるという事ができる。
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/ 2006年12月 1日 / ▲ ページ の トップ / |
● モーパッサン (小説家) のことば
才能は根気である。--表現したいと思うものはなんでも、充分に長い時間をかけ、また充分に心を留めて、そこに かつて だれも見も言いもしなかった点を注視することが重要である。いかなるものも まだ探検されない部分があるものである。
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志賀直哉 (小説家) のことば
作者は どんなに変わったものを書いたつもりでも、真似でないかぎり、決して じぶん以外には出られない。安心して どんな事でもやって見るがいい。
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/ 2006年12月16日 / ▲ ページ の トップ / |
[ END ] |
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