2007年12月16日 | 「理論編-7 『真』 概念 (F-真と L-真)」 を読む | >> 目次に もどる |
2013年 1月 1日 補遺 |
理論編-7 は、技術上──構文論の観点から──、本書で最大の要 (かなめ) になる編です。
T字形 ER手法に関して、本書に先立って、「論理 データベース 論考」 を 2000年に出版していました。
(1) T字形 ER手法に関して、「意味論」 の前提を移す。 (2) 数学基礎論 (あるいは、ロジック) に関して、「構文論」 の基礎技術を棚卸し (確認) する。 ただ、「論理 データベース 論考」 では、「意味論」 の前提を移すのが精一杯で、「意味論」 を包括的に検討することができませんでした。「論理 データベース 論考」 が前提にしている 「意味論」 は、ウィトゲンシュタイン 氏の哲学を流用しています。具体的に言えば、T字形 ER手法は、(ウィトゲンシュタイン 氏の前期哲学を記述している) 「論理哲学論考」 を、まず、底本にして作られました。「論理哲学論考」 では、写像理論と真理関数が記述されています。ただ、「論理哲学論考」 のなかで、以下の文が、私を、ずっと苦しめていました。
In logical syntax the meaning of a sign should never play a role. It must be possible to すなわち、ウィトゲンシュタイン は、「論理的構文論では、記号の意味が役割を演じてならない」 と断じています。しかし、T字形 ER手法は、コッド 関係 モデル を意味論的に強化するために、個体 (entity) に対して、「event と resource」 という意味論的概念を導入して、記号の意味が中核の役割を演じる体系となっています。 私と同じように、ウィトゲンシュタイン 氏の文に呪縛されていた哲学者が カルナップ 氏でした。カルナップ 氏は、ゲーデル 氏・タルスキ 氏との交友を通して、「一つの言語のなかで、『(導出的な) L-真』 と 『(事実的な) F-真』 を導入して、言語のなかで、言語の構文論を記述できる」 ことを示しました。カルナップ 氏の やりかた は、私にとって、「救い」 になりました。というのは、私は、「論理 データベース 論考」 のなかで、ゲーデル 氏の完全性定理・不完全性定理を扱っていて、ロジック では、意味論的な 「真」 が構文論的な 「証明可能性」 として記述できることを学習していたので、カルナップ 氏の考えかた (L-真 と F-真) をT字形 ER手法に導入できると直感して、カルナップ 氏の著作を読みました。 ウィトゲンシュタイン 氏は、前期哲学 (写像理論) を否定して、後期哲学では、「言語 ゲーム (意味の使用説)」 を示しました。そして、争点となるのが、もし、T字形 ER手法が カルナップ 氏の説を導入するのであれば、ウィトゲンシュタイン 氏の後期哲学で示された 「真」 概念と (タルスキ 氏・ゲーデル 氏の流れを汲む) カルナップ 氏の 「真」 概念のあいだの調整でした。そこで、T字形 ER手法の体系を以下のように整えて、「合意」 概念 (ウィトゲンシュタイン 氏の考えかた) と 「L-真・ F-真」 を調整しました。
(1) 個体の認知 すなわち、(1) で 「合意」 概念を導入して、事業過程のなかで伝達されている 「情報」 に対して、言語の使用上、「合意された認知」 手段として コード 体系を使い、(2) で、意味論的な個体概念 (event 概念と resource 概念) を使い、(3) で構文論 (「L-真」 概念) を導入して、(4) (5) および 「みなし概念」 で、意味論 (指示規則) を適用して 「F-真」 を実現する、という体系にしました。そして、その体系は、理論編-3 で示した 「経験論的言語 L」 の規則を遵守した体系としました。つまり、「合意」 → 「L-真 (生成規則で実現される真)」 → 「F-真 (指示規則で実現される真)」 という体系として整えました。 そういう体系に整え直したので、T字形 ER手法と言っていた体系を、新たな よびかた に変えて、TM (および TM’) としました。「L-真」 および 「F-真」 は、「対照表」 の意味を検討する際に適用されます。そして、ゲーデル 氏が示したように、もし、生成規則のなかに矛盾がないのであれば、無矛盾な体系のなかで、「『真』 とも 『偽』 とも判断できない命題が存在する」 という事態が、TM の 「対照表」 でも現れました──すなわち、「対照表」 は、「event」 とも 「resource」 とも 判断できない (A とも ¬A とも判断できない) という現象が現れました。そのために、TM では、「対照表」 (ZF の公理系でいえば、「対の公理」を前提にした集合) の集合的性質 (ZF の公理系でいえば、「置換公理 f (x)」 を、「基本的に」 以下のように 「解釈」 するという制約を置いています。
性質として、「日付」 が存在するか、あるいは、「日付」 を仮想したいとき、そして、そのときにかぎり、 ただ、明らかに、「resource」 として 「解釈」 したほうが良い例も出てきます--勿論、その 「対照表」 は、上述の制約を適用すれば、「event」 として 「解釈」 できるのですが、「明らかに」 と記述したように、文脈のなかで、「resource」 として判断され得る例も出てきます。その例を、本書の最終 ページ で示しました (「銀行. 支店. 対照表」 の例)。 「対照表」 が 「L-真」 であっても、「F-真」 として、「event」 なのか 「resource」 なのか を判断するためには、TM の階を ひとつ 上にしなければならないのですが、私は、第 2階の術語 (および、演算体系) を扱うつもりはない。TM は、あくまで、「実 データ」 を対象にした第 1階の演算でとどめたい。 □ |
[ 補遺 ] (2013年 1月 1日)
本 エッセー は、かつてのT字形 ER法が TM (Theory of Models) に変更された理由を述べています──すなわち、「赤本」 を執筆した理由を述べています。T字形 ER法は、モデル を作る個々の技術 (実際に使っていた技術) を寄せ集めた状態だったので、論理的一貫性が検討されていなかった。そのために、(T字形 ER法を説明した著作 「黒本」を執筆した [ 1998年 ] 後で) 「論考」 を執筆して [ 2000年 ] 数学的技術を再学習して、T字形 ER法を数学的観点から検証しました。その成果を公にしたのが 「赤本」 です。「赤本」 では、意味論を補強して、TM は次の体系として整えられました。 合意された語彙 → 導出的 L-真の構成 → 事実的 F-真の験証 「赤本」 で整えた この体系を更に周緻に検討した著作が 「いざない」 です──「いざない」 で やっと TM は数学の モデル 論を遵守した技術となりました、すなわち、「構文論が先で、意味論は後」 という体系となったのです。言い替えれば、合意された語彙を 「演算」 して (構文論)、その演算項に値を充足して真・偽を問う (意味論) という体系となったのです。TM は、数学の モデル 論を遵守した モデル 技術です。 |
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