2001年 3月15日 作成 | 「もの」 語彙と 「こと」 語彙 | >> 目次 (作成日順) |
2006年 5月16日 補遺 |
昨年夏頃から、「徒然草」 (吉田兼好著) を読んでいる。「徒然草」 には多くの諸本があるが、大まかに言えば、諸本は4系統 (烏丸本系統、幽斎本系統、正徹本系統、常緑本系統) になる。小生は正徹本(*)を底本としている。 数年前から昨年 (2000年) まで、小生が、ケ゛ーテ゛ル 氏の論文や ウィトケ゛ンシュタイン 氏の 著作を一生懸命に研究していたとき、いっしょに仕事をしていた人たちは、システム・エンシ゛ニア たる小生が数学基礎論や哲学を勉強している訳を計りかねていたようであるが--その勉強の集大成が拙著 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 であるが--、今回も、古文を勉強してい る訳を計りかねているようである。小生が古文を勉強している理由は、日本人の認知に関して、「もの」 語彙と 「こと」 語彙 を調べたいからである。
個体には、「並べられる対象」 (順序対が成立する対象群) と 「並べられない対象」 (順序対が意味をなさない対象群) があり、「並べられる対象」 は 「関数」 概念を使って テ゛ータ 構造を構築することができるが、「並べられない対象」 にも 「関数」 概念を使うことには、構造を強引に単純化し過ぎる。事業過程のなかで使われている テ゛ータ は 、「DATE (取引日)」 を規準にして並べることができる テ゛ータ (これを 「event」 という) と、それ以外の テ゛ータ (順序対が意味のない テ゛ータ、これを 「resource」 という) の2つに類別できる (すなわち、A∨¬A、「A である」 か、あるいは、「A でない」 かということ)。 「こと」 語彙と 「もの」 語彙の歴史的成立を調べるのなら、「古事記」 から始めて、年代順に、古文を読むのが正しいやりかたなのだが、古代から中古に至る古文のなかでは、「和歌」 が大きな比重を占めていて、困ったことに、小生は 「和歌」 が わからないので、まず、歌人である兼好が綴った、「和歌」 が対象となっていない、「徒然草」 から読み始めて、そのあいだに、「和歌」 を勉強 しようと計画している。いっぽうでは、1830年に刊行された 「ハ゛タヒ゛ア 版」 の英和語彙集を起点にして、多くの古辞書を調べて、 日本人が欧米の概念 (例えば、identityなど) を、どのようにして理解してきたのか、という点を調べている。そうとうな年数を費やす研究になりそうである。 (*) 兼好と同時代の人々は、「徒然草」 という著作があったということを知らなかったようである。「徒然草」 が兼好の著述であると最初に言った人物は、室町時代の正徹である。正徹が書写し伝存する写本が、いわゆる 「正徹本」 と呼ばれている。□ |
[ 補遺 ] (2006年 5月16日)
この ヘ゜ーシ゛ を綴ってから、もう、5年が過ぎました。しかし、私は、ここに綴った計画 (「もの」 語彙と 「こと」 語彙を調べる計画) を実現できないまま、今に至りました。この計画を実行したい気持ちは、いまでも強いのですが、この ヘ゜ーシ゛ を綴ってから今に至るまでの 5年間には、会計基準・商法などの改正が数多く続いて、そちらの学習のほうに時間を費やして、とうとう、古文の研究に向かうことができない次第でした。また、この 5年のあいだに、T字形 ER手法を再検討して、TM (および TM') として整えて、著作を執筆したことも、古文の研究に向かうことができない理由の 1つでした。T字形 ER手法を TM (および TM') という呼称に変更した理由は--言い換えれば、新刊を出版した理由は--T字形 ER手法の体系を説明しやすいように整えたのではなくて、T字形 ER手法を構文論・意味論の観点から再検討したからです。その検討の過程は、まさに、本 ホームヘ゜ーシ゛ のなかで--「ヘ゛ーシックス」、「テ゛ータ 解析に関する FAQ」 および 「反 コンヒ゜ュータ 的断章」 のなかで--綴ってきました。そして、その再検討のすえに辿り着いた点は、「関係主義と実体主義」 を、再度、検討しなければならないという点でした。「関係主義と実体主義」 を、再度、検討するとなれば、哲学の重立った思想を棚卸しすることになりますし、まさに、この ヘ゜ーシ゛ に綴った 「『もの』 と 『こと』」 を語-言語 (語彙) の観点から検討しなければならないでしょうね。 西洋哲学の重立った思想を棚卸して、かつ、日本人の認知 (語-言語に現れた認知のしかた) を調べるとなれば、膨大な年月を要する研究になるでしょう。いまの私は、その研究に取り組みたいという気持ちが強いいっぽうで、いまの私には、その研究の基礎知識が具わっていないことを痛感しています。前著作 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、数学を対象にして、数学の基礎技術を棚卸しましたが、これからの研究では、哲学 (および、言語学・宗教学・心理学) を対象にして、われわれの考えかたに影響を及ぼした思想を検討することになります。いわば、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 の哲学版を綴ることになるでしょう。しかも、哲学思想史を綴るのではなくて、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 が 「数学書のようで数学書ではないし、哲学書のようで哲学書ではないし、コンヒ゜ュータ の書物 (テ゛ータヘ゛ース 設計) のようで コンヒ゜ュータ の書物ではない」 という やっかいな書物になったように、これからの研究も、そういう色彩を帯びるでしょうね。まず、哲学史を読まなければならないでしょうが、哲学史の学習だけでも、年月を費やす辛い学習になりそうです。 いっぽうで、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 のなかに、「ク゛ラフ 理論」 と 「モテ゛ル 理論」 を盛り込まなかったことに対して私自身は遺憾に思っています。私は、「ク゛ラフ 理論」 と 「モテ゛ル 理論」 を学習したのですが、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を執筆したときには、T字形 ER手法を、モテ゛ル として、構文論 (語彙と文法) の観点から検討することと意味論の観点から (T字形 ER手法が前提にしていた) 写像理論を 「言語 ケ゛ーム」 に転回することを狙いにして、数学的な写像・集合・関係に焦点を当てていたので、「ク゛ラフ 理論」 と 「モテ゛ル 理論」 を盛り込まなかった次第です。いまになって思えば、「関係」 の記述のなかで 「ク゛ラフ 理論」 を綴るべきだったし、構文論の終着点として 「モテ゛ル 理論」 を綴るべきだったと思っています。もし、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 が増刷 (4刷り) になれば、これら (「ク゛ラフ 理論」 と 「モテ゛ル 理論」) を増補したいと思っています。 私は、テ゛ータ 設計の手法を作ることを仕事にしていますので、読書では、仕事のために読む書物と趣味として読む書物との境界線が曖昧です。或る意味では、私が読んでいる書物の ほとんどすべて が、仕事 (手法を作ること) に関与していると言って良いでしょうね。特に、語-言語に関する書物は、たとえば、古典文学のように、趣味として読んでいても、「(ものごとの) 認知」 という観点から、どうしても、「仕事の眼」 から観てしまいます。ユーモア を 1つ引用して、補遺を終わりにしましょう。
astronomer (天文学者) |
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佐藤正美の問わず語り |