2002年 7月31日 作成 ノート を作成するための読書標識 (1) >> 目次 (作成日順)
2007年 9月16日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、読書をしながら、ノート を作成することについて、お話しましょう。

● ノート の作りかた (「徒然草」 を例にして)

 以前の 「問わず語り」 のなかで--以下の ページ のなかで--、ノート の作成のしかたを述べました。

  (1) 42 ページ (5冊の ノート を作成する [ 語彙、文法、表現、有職故実、鑑賞 ])
  (2) 46 ページ (一覧表を作成する)
  (3) 50 ページ (3つの概念を使ってまとめる [ 主要概念、重要細目、例 ])

 ノート を作成する価値のある文献は、以下のように、少なくとも、3回読むことになるでしょうね。

  (1) 全体を通読して、体系 (あるいは、論点) を 「おおまかに」 把握する。
  (2) ノート を作成するために、再度、精読する。[ 精読した後に ノート を作成する。]
  (3) 全体を通読して、ノート の網羅性を検証する。

 文献を丁寧に読みながら、(ノート を作成するための) 色々な標識を書き込んでおけばよいでしょう。
 たとえば、小生は、以下の標識を使っています。

  (1) W (Words、語彙)
  (2) G (Grammar、文法)
  (3) E (Expression、表現)
  (4) F (Folk、有職故実)

 
 徒然草の例 [ 第 80段より抜粋 ] を使って、標識の使いかたを述べてみましょう。

 「人ごとに、我身に疎 (うと) きことをのみぞ好むめる。
  法師は兵 (つはもの) の道を立て、夷 (ゑびす) は弓引くすべ知らず、[ 仏法知 (しり) たる気色 (けそく) し、]
  連歌し、管弦を嗜 (たしな) みあへり。
  されど、疎 (をろ) かなるをのれが道よりは、猶 (なほ) 人には思ひ侮 (あなづ) られぬべし。
  法師のみにあらず、上達部 (かんだちめ)、殿上人 (でんじやうびと)、上 (かみ) ざままで、
  をしなべて武を好む人多 (おほ) かり。」

 さて、以上の文章を読んだとき、以下のように、標識を書き込みました。

 「[ E ] 人ごとに、我身に [ W ] 疎 (うと) きことをのみ [ G ] ぞ 好む [ G ] める
  法師は兵 (つはもの) の道を立て、夷 (ゑびす) は弓引くすべ知らず、[ 仏法知 (しり) たる気色 (けそく) し、]
  連歌し、管弦を嗜 (たしな) みあへり。
  されど、[ W ] 疎 (をろ) かなるをのれが道よりは、猶 (なほ) 人には思ひ侮 (あなづ) られ [ G ] ぬべし
  法師のみにあらず、[ F ] 上達部 (かんだちめ)、殿上人 (でんじやうびと)、上 (かみ) ざままで、
  をしなべて武を好む人多 (おほ) かり。」

 
● 「語彙」 ノート

 「語彙」 ノート の項目として、 [ W ] を附与された以下の用語が対象となります。

  (1) 疎 (うと) し
  (2) 疎 (をろ) か

 「語彙」 ノート では、たとえば、「疎 (うと) し」 は以下のように記述されます。なお、ことばの意味は 「読書案内」 のなかで記載した辞典を使って調べます(23ページ、27ページ と 31ページを参照してください)。


  うとし (疎し)

  (意味) この語の本義は、「関係が薄い」 ということであって、ことがらとことがらの関係が薄い、縁遠いの意味。
     --鈴木一雄 編、「旺文社 学習古語辞典」

  (例文) [ 悪には疎く、]
     かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、悪には疎く、善には近づくことのみぞ多き。(第 58段)
  (例文) [ 人に疎くてありなむ ]
     人ごとに、我身に疎 (うと) きことをのみぞ好むめる。(第 80段)

 




● 「文法」 ノート

 「文法」 ノート の項目として、 [ G ] を附与された以下の用語が対象となります。

  (1) ぞ [ 係り結び ]
  (2) める
  (3) ぬべし

 たとえば、「める」 は以下のような記述になるでしょう。なお、ことばの意味は 「読書案内」 のなかで記載した辞典・文法書を使って調べます (23ページ、27ページ と 31ページ を参照してください)。


  「めり」 (○、めり、めり、める、めれ、○)

  (意味) [ 〜のようだ ]
     「見あり」 のつづまったものといわれる。
     「なり」 が聴覚に基づいて判断推量するのに対して、「めり」 は視覚に基づいて判断推量する。

  (例文) [ 多かめれ ]
     願はしかるべきことこそ多かめれ。(第1段)
           :
  (例文) [ 好むめる ]
     人ごとに、我身に疎 (うと) きことをのみぞ好むめる。(第 80段)

 




● 「有職故実」 ノート

 「有職故実」 ノート の項目として、 [ F ] を附与された以下の用語が対象となります。

  (1) 上達部 (かんだちめ)
  (2) 殿上人 (でんじやうびと)

 「有職故実」 ノート には、「上達部・殿上人」 は以下のように記述されます。なお、ことばの意味は 「読書案内」 のなかで記載した有職故実の辞典を使って調べます (23ページ、27ページ と 31ページを参照してください)。


  [ 上達部、殿上人 ]

  (例文) 上達部 (かんだちめ)、殿上人 (でんじやうびと)、上 (かみ) ざままで、をしなべて武を好む (第 80段)

   >>> [ 上達部 ] 公卿。三位以上の者と四位で参議になった者。
   >>> [ 殿上人 ] 昇殿を許された者。四位・五位と六位の蔵人。

 




● 「表現」 ノート

 「表現」 ノート の項目として、 [ E ] を附与された用語が対象となります。
 「表現」 ノート では、後日、例文を再利用しやすいように、「羅針盤」 (42ページ 参照) を附与すればよいでしょう。
 そして、(英語の対訳本があれば) 英訳を添えておきます。

 


  ほんまつてんとう (本末転倒)

  [ 我身に疎きことを ]
  (例文) 人ごとに、我身に疎 (うと) きことをのみぞ好むめる。(第 80段)
  (英訳) Everybody enjoys doing something quite unrelated to his normal way of life. (Keene D.)

 




● 「正確に読む」 ということ

 日本古典文学の専門家は、複数の異本を校合して、正確な語義を探究している。
 ただ、我々 シロート が、そういう高度な仕事をできる訳ではないから、専門家の研究成果を拝借して、古典を正確に読むのが精々の研鑽である。日本古典文学は日本語で綴られているけれど、現代の日本人にとって、古典を読むことは外国語を読むことに等しい。
 「徒然草」 を寝ころんで読んで、兼好法師の物の見方を感心したり反論したりして愉しむのが本当の教養なのでしょうが、我々 シロート が外国語に等しい古典を読むには--古典を 「正確に読む」 には--、古典は 「研究対象」 にならざるを得ない。ノート の記述量が増えれば、古典の知識が増える。ただ、「研究対象」 として ノート を作成した後には、古典を 「寝ころんで読む」 余裕がほしい、と思う。

 (古語の知識がないから) 古典を読めないって?
 そうではなくて、「読みたい」 という意欲がないのでしょう。
 そうだとしたら、古典を無理に読まないほうがいい、と思う。

 国立能楽堂で上演された 「夕顔」 を小生が観に出かけたとき、開演前、ロビー にいた数人の 「おばさま」 たちが交わしていた話から洩れて聞こえてきたのは、「この プログラム を理解するために源氏物語を読んだのよ」 という虚栄心だった。
 それを、どうして、虚栄心だと断言するのかって?
 というのは、「おばさま」 たちは、「夕顔」 と 「夜顔」 のちがいを知らないで、現代の 「夕顔」 を物語の メタファー として抱いていたから。こういうのを 「古典の現代的解釈」 とはいわないでしょう (苦笑)。たとえ、古典文学の一級品でも、「読みたい」 と思わないなら無理して読まないほうがよいし、「読みたい」 と思ったら、「正確に読む」 のが見識でしょうね。

 さて、システム・エンジニア である小生が、日本古典文学を読むことに熱心であるのは、「我身に疎きことをのみぞ好むめる」 ことなのかもしれない、、、、、。□

 



[ 読みかた ] (2007年 9月16日)

 本 エッセー で綴った 「ノート の作りかた」 は、私が、日本文学の古典を読むときに実施している やりかた です。ノート の作りかたを具体的に記述したので、取り立てて、補遺はいらないでしょう。本 エッセー で述べているように、古典文学を 「正確に読む」 ために、私は、ノート を丁寧に作成しています--私の ノート の作りかたは、まるで、外科医が人体を手術するように、丁寧な作業です。シロート が、これほどまでに こだわって、ノート を作成するというのは 「常軌を逸している」 のかもしれない (笑)。「暇な ヤツ だな」 と言われそうですが、私は、暇な訳じゃない。古典を、じぶんに都合の良いように 「解釈」 しないで、正確に読みたいというのが私の本意です。

 ただし、こういう丁寧な ノート 作成は、勿論、すべての読書で実施できる訳ではない。当然ながら、私には本職 (データ 設計) があるので、一日のなかで、「趣味」 に割りあてる時間は限られています。実際、私は、「徒然草」 の ノート を作成したあとで、「枕草子」 の ノート を作成しようと計画していたのですが、本職のほうが忙しくなって--ロジック (論理学) を学習しなければならなかったので--、「枕草子」 の ノート を作る ゆとり がありませんでした (「枕草子」 の ノート は未着手のままになっています)。

 本職のほうで身につけた学習法が ノート 作成法に影響を与えたのか、それとも、ノート 作成法が本職の学習法に影響を与えたのか、という点を はっきりと見極めできないのですが、本職と趣味のあいだで相乗効果があったのは確かです。少なくとも、「語-言語」 分析は、本職の データ 設計法に対して、多大な影響を与えました。




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  佐藤正美の問わず語り