2003年 2月 1日 作成 辞書の使いかた (英語の類語辞典) >> 目次 (作成日順)
2008年 2月16日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、英語の類語辞典の使いかたを述べてみましょう。

 英文を読んでいて 「わからない」 単語があれば、英和辞典を使って 「語義」 を調べることが普通のやりかただと思いますが、類語辞典を使うのも1つの やりかた です。

 類語辞典は、同じ ことば の くり返しを回避したり、考えを適切に記述する ことば が思い浮かばないときなどに使いますが、日本人が──日本のなかで育って、ほとんど、日本語しか使っていないが、ときどき、英語を使うような状態にいれば──、(日本語を駆使するときと同じように) 英語の ニュアンス を熟知して英語を使うことは無理でしょう [ と、英語のできない私は開き直っています (笑)]。そして、そういう状態なら、英語の ニュアンス を熟知して文章を綴るということもないでしょう。

 ただ、ニュアンス が論点になるのは、英語を読んでいて 「意味」 の把握ができない──というよりも 「誤読」 してしまう──ことが、多々、起こる点です。

 類語を調べる コツ は、類語の間で 「共通しない」 相違点を確認することです。
 たとえば、bias と prejudice は 「偏見」 というふうに訳されるのですが、類語辞典を使って、2つの類語を調べてみたら、bias には preference とか tendency が収録され、prejudice には dogmatism とか intolerance とか narrow-maindedness とか unfairness が収録されて、さらに、racism や sexism や exnophobia が収録されています。
 (「THE LITTLE OXFORD THESAURUS」)。

 したがって、「偏見」 として、bias と prejudice が伝える イメージ には大きな相違があるようです。

 「独断と偏見を言わせてもらえば」 という意味の 「独断と偏見」 は 「I should state my bias」 であって、bias は 「私見」 のことでしょうね。それに対して、prejudice は、intolerable な (耐えられない) 「先入観」 に近いようです。

 ほかの例として、「justice」 を考えてみましょう。
 この英語を 「正義」 として訳すことに私は抵抗がある。「正義」 というと倫理感を暗示しますが、類語辞典を調べてみたら、「justice」 には ethics が収録されていない。以下のような類語が収録されています。

  equity, even-handedness, fair-mindedness, fair play, impartiality, integrity, legality, neutrality, ...(などなど).

 つまり、「justice」 は 「対等であること」 が基調であって、ethics を暗示していない。
 ちなみに、「justice」 の参照項目として morality が記載されています。morality を調べたら、morality には ethics が収録されていました。

 「justice」 の意味が 「対等」 であるから、以下の記述も成立する。
 No picture can do justice to the scene. (この景色は絵にも表すことができない。)

 多義性の高い基本語は (意味を理解するのが) とても むずかしい。
 たとえば、以下の表現 (good) を考えてみましょう。

  a good worker

 この表現を 「良い労働者」 と訳したら、誤訳と言わないまでも misleading な訳でしょうね。
 「良い」 という意味は、どういう意味なのか。
 類語辞典では、a good worker として、以下の類語を収録しています。

  able, accomplished, capable, conscientious, efficient, gifted, proficient, skillful, skilled, talented.

 「conscientious(= honest)」 という類語があるけれど、基本的には、技術や能力を記述しているようです。
 つまり、労働する能力や技術が高いということであって、有徳という意味ではない。
 同じように、a good teacher は、「教えることが上手な」 という意味であって、有徳の教師という意味ではない。

 英和辞典は、当然ながら、英単語の全体像を (日本語を使って) 描き出そうとして工夫しているのですが、もし、英和辞典を使って得た日本語訳がしっくりしないなら、セソーラス (thesaurus、英語の類語辞典) を使って、類語が言及している 「共通点」 と 「相違点」 を確認してください。

 われわれ、英語の シロート、が ページ 数の多い セソーラス を使いこなすことは無理なので、コンパクト な セソーラス を使えばよいでしょう。以下の 2冊をお薦めします。

   THE OXFORD LITTLE THESAURUS
   Webster's Compact Dictionary of Synonyms

 LITTLE OXFORD は、1つの見出し語に対して、数多くの類語・関連語を一覧表示して、ニュアンス の相違については記述していない。Webster's は、1つの見出し語に対して、いくつかの類語を記載して、それらの使いかたの違いを記述しているが、数多い類語・関連語を収録していない。
 つまり、1つの見出し語に対して 「概念」 を得ようとすれば LITTLE OXFORD のほうがいいし、1つの意味に対して類語の使いかたの違いを知りたいなら Webster's のほうがいい。2冊とも、それぞれ、目的が違いますので、2冊とも揃えたほうがいいでしょうね。

 



[ 読みかた ] (2008年 2月16日)

 悲しいかな、私は、日本語の類語辞典を使う頻度に較べて、英語の類語辞典を使う頻度が圧倒的に少ない。すなわち、日本語の文を綴るときに感じる身近さ (自由さ) を英語の文を綴る際に感じることができないのです──この現象は、私が日本で育って、私にとって英語が second nature になっていないということを示しているのでしょうね。というのは、いっぽうで、私は、英語の語法辞典 (たとえば、Dictionary of English Usage by Arnold Leonhardi & Brian W.W. Welsh とか Beginner's Dictionary of American English Usage など)を多用していて、英語の文法・語法を ちゃんと体得できていないから。

 そういう私でも、ComputerWorld 誌 (英文) を読んでいる際に、たまに、意味の掴みにくい文があって、英和辞典で訳語を調べても 「しっくりこない」 ときには、類語辞典を調べたら理解できたということも体験していますし、専門書の翻訳文を読んでいて、意味の掴みにくい文があって、原文を対照したら、翻訳文と原文では ニュアンス が ズレ ていることも発見したことがあります──ただ、そういう ニュアンス の ズレ は、まず、英英辞典を調べて、次に、Webster's Compact Dictionary of Synonyms を英英辞典と併用して わかったのですが。

 私のいまの実力では、英英辞典と語法辞典を多用して、たまに、類語辞典を使うというのが精一杯です。

 私は、日本で生まれて日本で育ったので、英文を綴る際にも、どうしても、着想・概念は日本語で、まず、浮かびます。そして、その日本語を英語に 「翻訳」 するために和英辞典を使うのですが、和英辞典に記載されている訳語が、たまに、「しっくりこない」 と感じることがあります。でも、私は、日本語の文を綴る際に感じる自由さを英語の文を綴る際に感じる所まで英語の実力がきていない。そういうときにこそ、word finding として類語辞典が役立つのでしょうが、英語の類語を一覧されても、それらの ニュアンス のちがいを理解できないという パラドックス に陥ってしまいます。一覧されている類語のなかから的確な語を選ぶためには、われわれ日本人は、どうしても、それらの類語を、再度、英英辞典で調べてみるか、あるいは、それらの語の ニュアンス を記述した類語辞典を使わなければならないでしょうね。ただ、そういうふうに、英文を綴る機会というのは、まず、ふつうの日本人にはないのではないでしょうか──私も、英語を使って仕事をしている訳ではないので、せいぜい、英文日記を綴る際に、そういう困難を感じているにすぎない。
 寧ろ、私が英語の類語辞典の世話になるのは、英文を読むときです。

 たとえば、以下の英文の意味を理解できますか。(参考)

 This is a powrful poision, a smallest dose of which is enough to kill a horse.

 この文のなかで、enough を、その類語として、adequate に書き換えたら、意味が どう変わるかを理解できますか。adequate を使えば、あたかも馬を殺す目的が すでにある ニュアンス に変わってしまうそうです。こういう基本語の ニュアンス というのは、日本で育った われわれには直感できないでしょう。というのは、そういう語が実際に使われている豊富な使用例を われわれは体験していないから。

 私は、30歳代・40歳代のとき、英語を使って仕事をしてきましたが、英語には とても苦労しました。日本で育った日本人が海外に出張して、英語を使って仕事をして英語に慣れてきて、「英語ができる」 といっても高が知れている。そして、あたかも、「英語ができる」 というように振る舞っている日本人を観たら、私は、反吐がでるほどの不快感を覚えます。

 たとえば、以下の英文を理解できますか。

 Do you think he is capable of doing it?

 もし、「できると思うかね」 というふうに訳したら、able とのちがいがわからないでしょう。あるいは、もし、capable を qualified にしたら、ニュアンス は、どうちがうのでしょうか。

 Learning a language is a long way to go.

 

(参考) 「英語類義語活用辞典」、最初フミ、研究社出版。  




  << もどる HOME すすむ >>
  佐藤正美の問わず語り