明けまして おめでとうございます。
「ゆく年くる年」 の エッセー を 3年ぶりに綴ることになります。この 5年間は、年末年始 (12月30日・31日および 1月 1日・2日) に介護施設で連続夜勤をしていましたので、「ゆく年くる年」 の エッセー を綴ることができなかった (「ゆく年くる年」 の エッセー に限らず、本 ホームページ の他の エッセー も綴ることができなかった)。介護施設の元旦の朝食は お節料理でした。ご利用者様 (入居者) といっしょに お節料理を食べて、新年を迎えるのが ここ数年の恒例でした──ご利用様のほとんどすべてが施設で年末年始を過ごしていました。
さて、その介護施設を昨年の 6月末で辞めました。5年 3ヶ月 (パート 職で) 働きました。夜勤専門でした。5年以上も勤めていれば、普段の生活では体験しないような色々な (初めて体験する) 事が多かったのですが、ここでは綴る事を控えます。施設を辞めた理由は、いくつかの理由が重なっているのですが、一番の理由は、施設が実際にやっている介護と私がやりたい介護とに ズレ が生じてきたからです。辞める前の 1年間は、特に その ズレ を強く意識するようになって、私にとって働く意味 (something to live for) を喪いそうになったので辞めた次第です。これ以上働き続けても、惰性でしかない、と。
私にとって、介護施設で働いた一番の恩恵は、私の崩れかけていた精神を立て直すことができた事です──(本業での学習研究の) 精神的疲労を (介護での夜勤の) 肉体的疲労で均衡させる事ができた。精神の疲労を肉体の酷使で癒すことができた。もし、介護の夜勤をやらなかったら、私は きっと 精神を病んでいたでしょう──尤も、肉体の酷使という点では、介護職でなくてもよかったのですが、私が敬愛している哲学者 ウィトゲンシュタイン 氏が第二次世界対戦中、看護助手をやっていたので、真似した次第です。ところが、夜勤 (金曜日・土曜日、日曜日・月曜日の連続夜勤) を 5年 3ヶ月も続けると、逆に肉体的疲労が蓄積して、「考える」 事が おっくうになってきて、しかも、次第に精神に影響を及ぼし、やる気が失せて、漠然とした不安 (特に、起床時に、言いしれぬ不安) が増大してきました。このままでは、私は鬱病になると危機感を覚えて施設を辞めました──先ほど述べたように、施設を辞めた理由は、一つだけではなくて、複数の導因が絡みあっています。
介護施設を辞めて、ちょうど半年が過ぎました。現在、体も心も落ち着いた非常によい状態です──睡眠時間も 7時間 (ときに、6時間) とれて、一日中 机に向かって考え事をしていても精神に乱れもなく着想が次々に浮かんでくる (たまに眠られない夜もありますが、2日もすれば正常に戻っています)。この健康な身心状態が どのくらい続くのか推測できないのですが、そうそう短い日々で崩れることはないと思っています。もし、身心状態が崩れたならば、私は、再び、介護の パート 職に就くかもしれない──ただし、以前に勤めていた介護施設に戻る事は、絶対にない。自分の 「理念」 と合わない組織のなかで働くつもりは私にはない (勿論、これは その組織の良し悪しということでなくて、私の理念と合う/ 合わないというに過ぎない)。
会社 (私の会社、株式会社 SDI) の業績も一昨年の後半から順調に回復してきて、現在は ほぼ 元の状態に戻りつつあります。昨年 12月 1日に、会社を (東京都港区南青山に) 移転しました。
この 5年のあいだ、ほとんど読書ができなかった。これからは読書 (数学、哲学、文学) にも精を出そうと計画しています。寒くなってから (昨年10月末から) 日課にしていた運動を怠けているので、再び やろうと思っています。
「Begin Again」、本年も宜しくお願い申しあげます。