2003年12月 1日 作成 実用的な文 (通信文の常識) >> 目次 (作成日順)
2008年12月16日 補遺  


 
 TH さん、今回から、しばらくのあいだ、実用文の書きかたについて考えてみましょう。
 実用的な文には、以下のような種類があります。

 (1) 通信文 (手紙、はがき、電報、E メール など)
 (2) 式辞
 (3) 感想文
 (4) 記録文・報告文
 (5) 論文・レポート
 (6) 報道文・宣伝文

 TH さんは企業財務情報の調査員ですし、私は システム・エンジニア ですし、二人とも作文の専門家ではないですから、およそ、文筆を生業にしている人たちのような (達意の) 文章を綴ることはできないでしょうね。もっとも、私たちは、仕事のなかで、実用的な文を綴ればよいのですから。

 まず、きょうは、通信文 (手紙・はがき) について考えてみましょう。
 以前、「問わず語り」 のなかで、「メール・手紙を綴るための文例集」 を記載しましたので、手本となる文例については、その ページ を参照してください (210ページ)。

 私は、まいにち、数多くの E メール をやりとりしているのですが、直筆の手紙・はがき をやりとりすることが、めっきりと少なくなりました。私が、直筆の手紙・はがき をやりとりする回数は、一年の間では、おそらく、10回もないかもしれない──ただし、御中元や御歳暮をいただいたときには、直筆の返事を綴りますが、それらの返事は、この 10回という回数のなかに入れていない。

 仮名の連綿体 (綴り字) や草書は、とても美しい。御年配の人たちからいただく手紙・はがき の書体には、連綿体が多い。手紙・はがき が美しい作品のように感じられますね。そういう技術を うらやましいので、私も、少々、綴り字を練習しています。

 さて、手紙・はがき の書きかたについては、210ページに記載した文例集を御覧いただくとして、私たちが、仕事のなかで、普段、やりとりする手紙・はがき は、おおかた、「案内とあいさつ」 に関する物でしょうね。たとえば、講演会や セミナー の案内状 (往復はがき) をいただき、出欠を通知することがありますが、返信するときには、以下の エチケット を守ったほうがいいでしょう。私は、最近、或る会合の出欠を確認するために、50通ほどの往復はがき を送ったのですが、いただいた返信のなかには、以下の エチケット を守っていない人たちが、「意外なほど」 多くいました。

  (1) 返信では、「御」 などの敬称は、消さなければならない挿入たとえば、住所とか氏名とか。
  (2) おもての アドレス では、宛先が 「行」 になっていたり、敬称が省かれていることが多いので──たとえば、
    運営委員会行とか佐藤正美とか──、「行」 を消して、「御中」 と書き換えるか、「様」 を書き添える。
    (運営委員会 御中とか佐藤正美とか。)

 そして、出席・欠席のどちらであっても、一筆添えたい。たとえば、出席なら、「たのしみにしております」 とか、欠席なら、「あいにく先約がございますので、失礼させていだきます」 とか。敬称を消すときには、取消線を上書きすればいいのですが、結婚式・披露宴の招待状 (出欠確認) であれば、取消線の代わりに、「寿」という赤色の文字を使って敬称を消す ふぜい がほしい。

 手紙・はがき の文では、以下のように、「頭語・本文・結語」 の構成が型になっています。
  - 「前略 (本文) 草々」
  - 「拝啓 (本文) 敬具」
  - 「拝復 (本文) 草々」

 「拝啓」 の頭語に対して、「草々」 の結語を使わないのが普通です。
 手紙・はがき は通信文ですから、かならず、「日付」 を記すようにしたい。

 これらの点に関しては、手紙・はがき の文例集を真似していればいいでしょうね。

 手紙では、通信文は封筒のなかに入っていますが、はがき では、通信文が露わになっています。ほかの人たちに読まれたくない中味は、手紙として認めるのが当然なのですが、、、この当然なことを配慮していない はがき (謝罪文) をもらったことがあります。文章の不備がないようにするために、いくら、型に従って綴っても、ちょっとした常識の配慮がなければ、信頼を得ることはできないでしょう。謝罪文を綴るなら、はがき ではなくて手紙にすべきでしょうね。

 こういう 「常識」 については、エチケット・マナー の書物が、多数、出版されているので、「問わず語り」 のなかで綴りたくなかったのですが、若い世代の人たちのなかで、そういう基本すらできていない人たちを観ていますので、今回、少々、お節介をしてみました。

 次回から、文章の綴りかた を、「構成」 (センテンス と パラグラフ の構成) という観点から綴ってみます。そういう技術は、作文のための専門的な書物を読めばよいのですが──そして、そういう技術は、高校までの教育のなかで、ちゃんと教わっているのですが──、もし、「あなたの日本語は変だ」 と或る人から言われたら、私なら、そういうふうに言った人を相手にしないでしょうね(笑)──「余計な お世話だ」 と言い返して。
 作文の技術が論点になったら、そればかり気にして、作文の拙い点を取りざたするという態度に対して、私は怒りにも似た気持ちを抱いています。「正しい」 作文技術を遵守して綴られているけれど、周知の知識ばかりを小綺麗にまとめた論文よりも、たとえ、悪文であっても、新たな視点を提示している論文のほうが、断然、良い
 作文技術の書物では、たいがい、「相手に読んでもらう」 ことが大切であることを力説していますが、たとえ、悪文であっても、書き出しの 2ページほどを読めば、「新たな視点」 を提示しているかどうか、という点は読む人にも感知できるし、「読む価値」 があると判断すれば、たとえ、悪文でも、読み通すでしょう──ただし、「読みにくいなあ」 という不満を漏らすことになりますが(笑)。作文技術の書物が、ほとんど、無視している点は、「綴られている文章には、前提 (読む人たちの間で合意されている膨大な知識枠) がある」 という点です。この前提 (読む人たちの間で合意された膨大な知識枠) があるから、悪文でも読むことができる。作文技術の良し悪しが書き物の価値をきめているのではない。

 たとえば、実用文として典型的な 「提案書」 でも、「問題点と改善案」 の着想を抱いている人は、提案書の最初のほうに、それら (訴えたいこと) を提示するし、たとえ、悪文であっても、読む人たちには、その着想を理解できる。作文技術が論点になるというのは、訴える点がないと判断されたときに──あるいは、その訴えに対して反対したいときに──、文章に対して非難が集中するというにすぎないでしょうね。
 もっとも、私は、作文技術を軽視しているのではない。ただ、それが front-end に出てくるというのは、本末転倒だと言っているのです。

 作文技術の書物のなかでは、個々の文を記述する くふう ばかりに力点が置かれて、構想を立てることが軽視されているようですね。しかも、「作文では、これくらいの技術は常識です」 というふうに、多数の注意点を提示されても、われわれは、日々、作文のことだけを考えているわけじゃない、という点を前提にしていないようですね (怒)。
 読書を、ほとんど、したことがない人は、いくら、作文技術ばかりを習得しても、文を綴ることなどできない、という点は、作文技術の書物のなかで、もっと、力説されてもいいのではないでしょうか。

 私が綴る文は、「高飛車」 とか 「傲慢」 というふうに非難されています (笑)──ウェッブ の或る ページ では、私の文体は、「傲慢さが芸風になっていない」 とまで こき下ろされましたから(笑)。したがって、私には、作文技術を述べるほどの見識はないのかもしれない。ただ、作文の専門家でない エンジニア が、文章を、どういうふうに観ているか、という点を、次回から、述べてみます。

 
[ お願い ] 数学・論理学の専門家へ。

 日本語に関する作文教本は、掃いて捨てるほど出版されているのですが、論理式の作文教本──日本語の文を論理式に変換する教本──が、ほとんど、ない、というのが現状です。われわれ エンジニア は、日本語の作文技術のほかにも、数式の作文技術を習得しなければならないので、日本語と論理式を対比した 「論理式の作文教本」 を、われわれ シロート 向けに執筆していただければ幸いです。たとえば、以下の書物のような。

     久馬栄道、「Q&A 数学基礎論入門」、共立出版、1995年

 [ この著作は、数式の読みかた・構成のしかた を知らない人たち向けとして、「快挙」 と言って良いほどの すばらしい入門書です。 ]

 



[ 読みかた ] (2008年12月16日)

 本 エッセー について、取り立てて 「補遺」 は要 (い) らないでしょう。





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  佐藤正美の問わず語り