2004年 1月 1日 作成 | 平家物語 | >> 目次 (作成日順) |
2008年 6月 1日 更新 |
以下に掲載する書物は、「平家物語」 を、単独に 「研究」 しようとして所蔵しているのではなくて、文学史のなかで、日本人の 「考えかた」 を知りたいために所蔵している。 それが目的なので、文献を、平家物語研究のために、網羅的に収集しているのではないことを御了承ください。 |
[ 読みかた ] (2008年 6月 1日)
日本古典文学作品のなかで、私は、殊更、「平家物語」 が大好きです。「平家物語」 を好きな理由は、たぶん、私が、文芸作品のなかで、「悲劇的な」 ストーリーを好む性質だからかもしれない。 高校生の頃、「平家物語」 の冒頭文 (対句表現) [ 「祇園精舎の鐘」 の段 ] を暗記させられました──そして、その文を、いまでも、暗唱できます。ただ、私は、あの文の 「音律」 を好きですが、中身を取り立てて共感している訳ではない。末尾文 (往生伝的表現) [ みな往生の素懐をとげけるとぞ聞こえし ] に対して、私は、ほとんど、興味がない。「平家物語」 の数多い段のなかで、私の興味・共感は、ほとんど、「悲劇的な道末に向かう高揚感 (たとえば、「敦盛」)」 や 「怨念 (たとえば、「俊寛」)」 に向かっているようです。そして、「時代の流れ」 に呑み込まれた人びとの悲劇を、まるで、王朝物語を思わせるような叙情性で歌い切った 「平家物語」 の文体に私は惹かれています──「平家物語」 の文体は、和漢混淆文が基本になっていますが、合戦の シーン では、口語や擬声語・擬態語を混ぜた簡潔な文だし、女性哀話では、王朝物語風の和文体だし、歴史記録的な文では公家日記風に漢文訓読になっていて、文体が使いわけられています。「平家物語」 のなかに、「表盛者必衰理」 という人生訓を読み取るような読みかたを私はしない──たとえ、それ (「表盛者必衰理」 を伝えること) が作者の意図であったとしても。もし、「表盛者必衰理」 という教訓を伝えるのであれば、「平家物語」 は、もっと、短編でもよかったと思いますが、「平家」 は、「語り継がれてきた」 という事実からも、そして、十二巻という 「構成」 から言っても、「物語」 (軍記物語) です──叙事詩と言っていいかもしれない。そういう 「物語」 に対して、「説話」 くさい 「解釈」 をよびこんでしまったのが、冒頭文と末尾文でしょうね──しかも、やっかいなことに、冒頭文は、「物語」 としても、「美文」 です。 「平家物語」 の作者は未詳です。「徒然草」 のなかで、「平家物語」 の作者を信濃前司行長 (藤原行長) であると綴っている段 [ 226段 ] があります──「後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、(略) この行長入道、平家物語を作りて、生仏 (しうぶつ) といひける盲目に教へて語らせけり」。学術的には、諸説 [ 行長のほかにも、藤原時長、吉田資経 (すけつね)、源 光行、菅原為長、玄慧 (げんえ)、安居院 (あぐい) など ] があって定説はないようです。仁治 (にんじ) 元年 [ 1240年 ] 頃に、「平家」 とよばれた 「治承 (じじょう) 物語」 (六巻) があったとする説もあるようです (「兵範記」 紙背書状)。「平家物語」 の伝本も数多くて、鎌倉時代の前期に成立したと思われる三巻本が、六巻、十二巻というふうに改訂増補されてきたと推測され、最も流布した覚一本 (かくいちぼん) が応安四年 (1371年) とのこと。「平家物語」 の伝本には、以下の ふたつの系統があります。
(1) 「語り本」 系
(2) 「読み本」 系 これらの諸本ひとつひとつが、それぞれの成立理由 (それぞれの作者と成立土壌) をもっていて、「平家物語」 というのは、それらの諸本の 「総称」 でしょうね──こういう成立理由は、「作品」 として、日本文学の古典作品では、他に例をみないでしょう。 そして、「平家物語」 が後世に及ぼした影響も多大です──連歌・俳諧・小説・謡曲・歌舞伎・浄瑠璃などでは、「平家物語」 が 「本説」 として多く使われてきました。私は、謡曲 (能) の 「敦盛」 が大好きです──そして、私は、(「敦盛」 の名前から文字をとって) 私の長男が誕生したとき、「敦」 と命名しました。「敦盛」 は (経盛の子ですが、) 平家一門にあって、歳が若かったことも理由にあったのでしょうが、無官の若公達でした。敦盛は、一ノ谷合戦で、熊谷直実 (くまがいなおざね) に討たれました (平家物語 「敦盛最期」)。敦盛は、無官で、なんら歴史に遺るような てがら もない若い武士であったことに比べて、義経は、「判官贔屓」 という ことば を生んだほどに、悲劇の ヒーロー でしたが──いくつもの合戦で多大な てがら を立てて、源氏の優位をもたらしたにもかかわらず、源氏の総領 (頼朝、異母兄) に疎まれ、悲劇的な終わりを迎える ヒーロー でしたが──、私にしてみれば、義経は 「生き延びすぎた」。謡曲 「敦盛」 (世阿弥 作) は、いわゆる 「修羅」 物ですが、謡曲でいう クセ・中ノ舞・中ノリ地で構成され、修羅の苦しみが強調されないで、風雅な愛おしい趣の作品です。 ちなみに、敦盛を討った熊谷直実は、敦盛の父 経盛に遺骸・遺品を届け書状を交わし、その後に、法然上人を師として出家して、敦盛の菩提を弔いました。「形見送 (経盛)」 という謡曲 (いまでは、廃曲) があったそうですが、その一節 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」 を、織田信長が戦に際して、舞って出陣したとのこと (「信長公記」)。 |
▼ [ 史料、資料 ] ● 平家物語総索引 (非売品)、笠榮 治 編、福岡教育大学内 ● 屋代本高野本対照 平家物語 (1 〜 3)、麻原美子・春田 宣・松屋葦江 編、新典社 ● 日本古典文学大系 32・33 平家物語 (上・下)、高木市之助・小澤正夫・渥美かをる・金田一春彦 校注、岩波書店 ● 昭和校訂 平家物語 流布本、野村宗朔 校註、武蔵野書院 |
▼ [ 現代語訳、英訳 ] ● 平家物語 日本の古典 13、中山義秀 訳、河出書房新社 ● 平家物語、冨倉徳治郎 編、フランクリン・ライブラリー |
▼ [ 概説書、解説書 ] ● 諸説一覧 平家物語、市古貞次 編、明治書院 ● 平家物語全注釋 (上・中・下 1・下 2)、冨倉徳治郎、角川書店 ● 平家物語略解、御橋悳言 著、藝林舎 ● 平家物語、梶原正昭 校注、おうふう |
▼ [ 辞書、事典 ] ● 平家物語辞典、市古貞次 編、明治書院 ● 別冊國文學 No.15 ('82) 平家物語必携、梶原正昭 編、學燈社
|
<< もどる | HOME | すすむ >> | |
▼ 読書案内 |