2004年 3月 1日 作成 文章を綴る動機 >> 目次 (作成日順)
2009年 3月16日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、文章を綴る 「動機」 について考えてみましょう。

 
文章には、自由作文と課題作文がある。

 動機というのは、表現意欲といってもいいでしょうね。 動機には、以下の 2つがあります。

 (1) 自由意志
 (2) 課題 (あるいは、依頼)

 学校教育のなかで教わった言葉を使えば、(1)を前提にした文を 「自由作文」 といい、(2) を前提にした文を 「課題作文」 といいます。手紙や日記は、(1) を前提にして綴るのですが、われわれが綴る文章のほとんどは、(2) を動機にしていることが多いようです。書物の執筆も、(2) のほうが多い。拙著のなかで、(1) を動機にして綴った著作は、「論理データベース論考」 です ──そういう書物を出版してくださった出版社 (SRC 社) に対して、小生は感謝しております。

 動機が 「課題」 であれば、すでに、主題が提示されていますので、「執筆できるか、できないか」 という点を判断すれば良いだけですから、文章作成の 2つの論点 (主題と構成) のなかの 1つは考えなくてもよいので、文章を綴る労力は、構成力のみに集中すればいいでしょう。

 或る研究領域の専門家であり、かつ、文章作成の訓練を得ている人であれば、「課題」 が与えられたら、「入門書」 を執筆することなど、たやすいことです。したがって、専門家が、一般向けの入門書を、多数、執筆しても、専門家の間では、評価の対象にはならない。

 
文章の勝負点は、主題である。主題とは、中心思想あるいは着想のことをいう。

 課題作文を綴るのが、もし、辛いとすれば、その理由は、資料を収集して読み込むための物理的な余裕 (準備のための時間) がない、ということでしょうね。あるいは、課題に対して、精神的な余裕 (「書きたい」という意欲) が起こらないからでしょうね。そのいずれかを感じたときには、小生は執筆を辞退しています──というよりも、原則として、小生は、「独自の視点」 を提示できない課題に対しては、執筆を辞退しています。だから、小生の著作数は少ない──現時点 (2004年 2月) で、小生の出版物は 7冊にすぎない。それでも、日外アソシエーツ 社の出版物 「現代日本執筆者大事典」 (第 4期、1991年〜2001年) のなかに、小生は列席することができました──小生を選んでくださった日外 アソシエーツ 社に対して、感謝しております。また、ロングマン 日本語 コーパス のなかに、拙著 「IT コンサルタントのスキル」 が、現代日本語の材料として選ばれました。

 さて、文章を綴る際、最大の苦しみとなるのが、「主題をかためる」 という点です。自由作文では、(文章を綴る構成が守られている、という前提に立てば、) 「主題」 が最大の勝負点になります。課題作文でも──同じ課題であっても──、「独自の視点」 が、最大の勝負点になるでしょう。すなわち、執筆する人が抱いている主題を前提にして、課題を深めなければならない。主題のことを、中心思想あるいは着想ともいいます。

 
良い文章を綴るためには、多くの書物を読んでいることが前提となる。

 主題は中心思想 (あるいは着想) ですから、文章を綴るには、当然ながら、膨大な読書量が前提となります。すなわち、読書のなかで得られた材料に対して、「論点を整理すること」 が起点になります。逆に言えば、日頃、読書しない人が、良い文章を綴ることなど、まず、ない、ということです。読書しない人が、作文技術の書物を多数読んでも、良い文を綴ることなどできない、ということです。作文技術を覚えたら文章を綴ることができる、という訳ではない。作文技術は、文章作法を整えるための技術であって、文章を綴る力を養う訳ではない、ということです。
 文章を綴る力を養う材料は、読書です。しかも、多量の読書です。

 作文技術の書物を執筆なさっている人たちは、おそらく、多読している人たちのはずです。作文技術の書物を読む人たちは、その点を見逃してはいけない。

 文章を綴るための主題を得たいなら、まず、書物を多量に読んでください。少数の書物を丁寧に読むのではなくて、まず、(自らが関心を抱いている領域の) 書物を、多量に読んでください。
 乏しい主題を、巧みな作文技術を駆使して化粧しても、その主題に対して関心を抱いている人たちが読めば、主題展開の弱さが見え透いています。主題が荒削りであっても良いから、多量の読書を前提にして、考え抜いた視点を提示するようにしてください。もし、主題が荒削りであっても、その主題に対して関心を抱いている人たちが、あなたの主題を継承して、さらなる一歩を進めてくれるでしょう。文章の目的が、主張 (主題) を提示することにあるのなら、ほかの人々が継承するような主題を提示しなければならない。

 



[ 読みかた ] (2009年 3月16日)

 「文章を綴る動機」 に関する私の作文観は、「書きたいという テーマ を持っていないなら、そして、テーマ を扱う視点を だれかが すでに公表にしているなら、執筆すべきではない」 という考えかたです。学校での作文では、こういう態度では困るのですが (笑)、学校を卒業して社会のなかで意見を述べるのであれば、私は、こういう態度を貫きたいと思っていますし、いままで、貫いてきたつもりです。今年 (2009年 2月)、新刊を出版しました── 9冊目の著作です。そして、いままで出版してきた 9冊の著作は、いずれも、「データ 設計」 を テーマ にしながらも──ただし、そのなかの 1冊は、全然、違う テーマ ですが──、それぞれ、テーマ を 「違う視点」 で扱ってきました。ひとつの基底 (たとえば、T字形 ER手法) を最初の テーマ にして書き下ろして、次に研究を続けて その基底を拡張してゆくのであれば、当然ながら、テーマ を扱う視点は シフト します。

 ひとつの テーマ を執筆するためには──あるいは、研究するためには──、その テーマ は 「範囲の限られた (すなわち、閉じられた)」 集合であるべきです。テーマ が境界を定められて限定されていなければ、不確かな対象を漫然と綴ることになってしまい、材料を読んで推論して判断して、その集合の 「性質・構造」 を確実に述べることができないでしょう。テーマ を具体的に限定しなさい、というのが文を綴るための 起点です。そして、その テーマ を基底 (閉包) にして、その外 (そと) に存在する検討事項 (外点) を次第に取り込んで体系を拡張してゆくというのが効果的・効率的な研究法・執筆法でしょうね。そして、そういう やりかた をするのであれば、つねに研究を続けていなければならない──したがって、つねに、テーマ に関連する書物を読んでいなければならない──ということになりますね。コンピュータ を ブラックボックス (関数) として考えたときに、「Garbage in, garbage out」 という訓諭がありますが、同じことを作文にも適用できるでしょう。すなわち、テーマ に関して日頃から良質の資料を多量に読んでいるということが作文の質を決めます。





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  佐藤正美の問わず語り