2004年 4月16日 作成 読書のしかた (読書の習慣) >> 目次 (作成日順)
2009年 5月 1日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、読書の習慣について考えてみましょう。

 
仕事のために読む書物も、読書の対象である。

 最近、私は、読書の時間を減らしています。その理由は、考える時間を多く欲しいからです。私は、いま、T字形 ER手法に関して、理論的な整合性を詰めているので、どうしても、考える時間を豊富に欲しい。
 T字形 ER手法を作るために読んだ書物が、どれほどの数になるのか、という点は的確には言えないのですが──芋蔓式にたぐれば、参考文献の数は膨大になると思うのですが──、過去 10年ほどの読書計画 (および、読書実績) を調べてみたら、1年を単位として、100冊近い書物を読んでいた年もあれば、30冊に満たない年もありました。
 読んだ書物の半数以上が、哲学・数学の文献でした。

 哲学・数学の書物は、よほど必要に迫られていないかぎり、まず、読まない対象でしょうね。趣味として、数学の書物を読むという人は、ほとんど、いないでしょう。T字形 ER手法を整合的な モデル にするために、私は、哲学・数学の書物を読まざるを得ない。だから、そういう類の書物を読む、ということです。つまり、仕事のための読書量が、膨大である、ということです。仕事のために読む書物を、読書の対象から外すとなれば、私の読書量の半数ほどは、喪われてしまいます。ましてや、最近では、ほとんど、仕事のための読書しかしていない、と言ってもいい状態です。
 もし、仕事のために読む書物は、読書の対象ではない、と言われたら、私の読書量は、ほぼ、ゼロ になってしまいます──生活のなかで、空き時間のほとんどを、書物を読むことに費やしているにもかかわらず。
 仕事のために読む書物も読書の対象である、というふうに、以前、綴った理由は、その点が出所になっています。

 
読書の欲求は、ニーズ が起点となる。

 教養を得るために読書する、ということは、まず、できないのではないでしょうか。もし、できたとしても、持続できないのではないでしょうか。教養の習得を目的にして読書をはじめたとしても、きっと、三日坊主で終わるでしょう。
 戦争直後の状態のように、(書物をはじめとして) 印刷物が入手できない状態であれば、活字を読みたい欲求は高いでしょうから、稀少価値の印刷物が 「教養文庫」 として提示されたら、人々は、貪って読んだのでしょうが、すでに、書物が豊富に店頭に並んで、しかも、書物以外の娯楽手段が豊富に出ている状態のなかで、教養のために読書するということは、まず、起こり得ないのではないでしょうか。書物を読みたいという強烈な欲求がないかぎり、いかに、豊富に書物が店頭に並んでいても、読書する人数は増えることがないでしょうね。

 書物を読みたいという強烈な欲求は、まず、ニーズ (need) が起点になるでしょう。つまり、「欠けている物を充填したい」 という欲求が起点でしょうね。あるいは、興味・関心を引き起こす書物でなければ、読む対象にはならないでしょうね。或る物事に対して、興味・関心を抱いて知りたいけれど、いま、それに関する知識がないので、欠けている知識を充填したいという ニーズ も、究極的には、興味・関心が起点になるのかもしれないですね。とすれば、読書の起点は、興味・関心である、と言い切っても良いかもしれない。

 
興味・関心を抱いている対象を、3つほど列挙してみればよい。

 とすれば、読書は、或る対象に関して、興味・関心がなければ、継続しない、ということになりますね。逆に言えば、興味・関心を抱いている対象に関する書物を読めば、読書習慣を形成しやすい、ということです。

 私は、高校生になるまで、(学校の教科書を除いて、) 書物を読んだことがない。情操や思考力を養うには、小学生の頃から、読書を習慣としていれば、良いのですが、年少の頃に、そういう習慣がなかったとしても、仕事をするようになってからでも、読書習慣を形成することはできるでしょうね──もし、興味・関心を抱いている対象があれば。
 さて、読書を、これから、はじめようとしている人は──あるいは、読書が、すでに、習慣になっている人も──、興味・関心を抱いている対象を、3項目ほど、列挙してみてはどうでしょうか。

 



[ 読みかた ] (2009年 5月 1日)

 本 エッセー は、「読書の習慣」 を テーマ にして、「興味・関心」 が読書の契機になることを綴っていますが、「興味・関心」 を抱いて読書をはじめたとしても、かならずしも、読書が習慣として継続されることにはならないでしょうね。というのは、「興味・関心」 が薄れたら、書物を読まなくなる事態も起こりえるから。「習慣」 というのは、その性質として、もし、いままで やってきたことを休止すると なにかしら 欠落感を覚える状態にあることを云います。読書において、そういう状態になるのは、「本の虫」 を自認している人たちを除いて、なかなか、難しいのではないでしょうか。まして、読書のほかに、テレビ や Internet などの興味深い media があるのだから。読書が習慣になっている状態の ひとつ は、仕事上、書物を つねに読まなければならない状態でしょうね──私の場合が、そうです。そういう状態にない場合に、読書の習慣を作るのは、そうとうな 「努力」 がいるでしょうね。そして、「努力」 のみがもとめられる状態であれば、いずれ、嫌気を感じて止めてしまうでしょう。「努力」 のみが前提の すべて にならないように、「興味・関心」 を ひとつの動因 (導因) として考えればいいことを 本 エッセー で述べてみた次第です。

 そして、「興味・関心」 を抱いて読書している最中 (さなか) に、「読書計画」 (本 ホームページ 66ページ・70ページ) を作成して、読書を習慣にしてしまうのがいいのかもしれない。





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  佐藤正美の問わず語り