2004年 5月16日 作成 モノ と 関係 >> 目次 (作成日順)
2008年 6月16日 補遺  


 
● 「関係」 を 「性質」 として考えれば、悪しき 「実体-属性」 説に陥る。

 「モノ と関係」 を扱う際、まず、注意しなければならない点は、「性質と推論」 を切り離すという点である、と言われている [ しかし、性質と関係を切り離すことは、なかなか、むずかしい ]。

 推論では、形式だけが論点になる。推論は、かならず、仮言である (p⇒q)。仮言命題は、或る命題が真ならば、もう 1つの命題も真であることを述べている。したがって、推論となっている命題の形式は、命題の最も単純な形式ではない。推論を考える際、推論が前提にしている単純な形式を考えなければならない。

 伝統的論理学(注 1)では、単純命題は 「1つの主語に対して 1つの述語が帰属する」 形式 (「S-P」 形式) として考えられていた。この形式は、たとえば、「これは赤い」 というふうに、与件の モノ の性質を記述するためには都合の良い形式である。

 しかし、この形式は、2つの主語の間に成立する関係を記述することができない。たとえば、「これは、あれよりも、大きい」 という言明は、「S-P」 形式では記述できない。言い換えれば、「これ」 の性質を記述するのではなくて、「これ」 と 「あれ」 の関係を記述する形式がなければならない、ということである。
 「関係」 を 「性質」 として考えようとすれば、「(ア・プリオリ な) 実体」 とか 「全体の調和」 という形而上学的な考えかたを導入しなければならない──その頂点が、ライプニッツ が提示した 「モナド」 かもしれない。(注 2)

 「全体の調和」 のなかでは、仮言命題は、「自然の法則」 として 「必然的な因果律」 として考えられる。すなわち、「必然的な因果律」 は、自然の事物・事象のなかに、あらかじめ、存在していると考えるか [ 内在説 ]、あるいは、自然を作った神が賦課した絶対的法則であると考える [ 賦課説 ]。フレーゲ と ペアノ が、論理学の命題形式を提示する以前は、命題の形式は、アリストテレス 論理学を前提にして、(推論においても) 「性質」 が主たる論点とされていた。

 自然の事物・事象を対象にして、なんらかの 「関係の法則性 (モノ の構造)」 を探ることは、魅惑的な作業なので、概念設計段階において、モデル に対して興味を示す人たちは、往々にして、事物・事象の間に成立する関係を 「汎用的な関係」 として考えようとするけれど、数理論理学 (関係の論理) の素養がなければ、いきおい、「性質」 を主体にした 「実体」 などという古い考えかたに陥る (「実体-属性」説)。

 
● 事業は人々が作り出した出来事であって、出来事は 「選択的 (偶然的) 因果関係」 として成立する。

 モノ (事象・事物) を認知できても、モノ を定義するのはむずかしい。たとえば、時計は、1つの モノ なのか、それとも、いくつかの モノ (文字盤、針、リューズ、ぜんまい など) の構成物なのか。あるいは、さらに、文字盤や リューズ などは、半製品・加工品 (構成物) であって、真鍮などの原材料を (atomic な) モノ として認識することもできる。

 事業を対象にすれば、事業は人々が作り出した出来事 (occasion) であり、したがって、或る出来事と他の出来事の間に成立する関係は 「選択的」 であって、必然的な因果関係はない。出来事の系列を作ることそのものが、事業なのである。

 経営過程は、事業過程・管理過程・組織過程の 3つから構成されている。
 事業過程は、購買・生産・販売・労務・財務の 5つの過程から構成されている。
 管理過程 (購買管理・生産管理・販売管理・労務管理・財務管理) は、事業過程を管理する。
 管理には、以下の 3つがある。
  (1) 経営計画 (経営活動の前)
  (2) 経営実行 (経営活動の過程)
  (3) 経営批判 (経営活動の後)

 そして、管理に対応して、報告も以下の 3つがある。
  (1) 事前報告 (report before action)
  (2) 経過報告 (report in action)
  (3) 事後報告 (report after action)

 管理の目的は、事業の情報体系を整備・運用して、事業を合理的に実施できるようにすることである。すなわち、事業過程に関与する人たちが、情報を共有しながら、事業をおこなう。したがって、事業のなかで伝達される情報には、5W 1H が的確に記述されている。つまり、「なに (モノ) を、どのようにして」 計画し、実施し、管理しているか、という点が記述されている。事業を知るとは、情報を知ることである。

 さて、前回、(自然を対象にした際、) モノ として、ホワイトヘッド が提示した以下の 4つを述べた。
 (1) 持続する現実的な事物
 (2) 生起する現実的な事物
 (3) 反復する抽象的な事物
 (4) 自然の法則

 事業の出来事 (occasion) のなかには、上述した 「持続・生起・反復」 の 3つの モノ が現れる。
 「生起する現実的な事物」 は、事業過程のなかで、「系列」 として認知される事象であり、「持続する現実的な事物」 および 「反復する抽象的な事物」 が、出来事 (occasion) に関与する。そして、それらの事物の間に成立する 「関係の論理」 が、1つの 「選択的な因果関係」 である。「生起する現実的な事物」 は、時系列のなかで認知される 「event」 であり、「持続する現実的な事物」 および 「反復する抽象的な事物」 が 「resource」 である。

 事業運営のなかで、モノ には、管理番号が付与されている [ コード 体系 ]。「持続する現実的な事物」、「生起する現実的な事物」 および 「反復する抽象的な事物」 は、事業のなかで、大切な管理対象であれば、管理番号を付与されて認識されている。したがって、それらの モノ は、いったん、「S-P」 形式として、「性質」 を記述される。そして、モノ の性質が記述されたら、モノ は、「関係の論理」 のなかで、変項 (関係項) として扱われる。

 
● 関係の論理は、できうるかぎり、形式だけを扱いながら、いっぽうで、意味を記述しなければならない。

 そして、「関係の論理」 を、どのように使っても、それぞれの関係項の性質 (および、いくつかの関係項が合成されて作り出す新たな性質) を発見することはできないし、逆に、関係項の性質を調べても、「関係の論理」 を発見することはできない。(注3)

 「性質」 と 「関係」 を切り離して、「関係の論理」 を推論形式 (構文論) として扱っても、現実の事象 (事業) を対象にすれば、意味論が構文論に対して干渉してくる。たとえば、対称的な関係にある モノ──つまり、aRb ≡ bRa が成立している、ということ──として、以下を考えてみる。

   R {従業員番号 (R)、部門 コード (R)}. (あるいは、R {部門 コード (R)、従業員番号 (R)}.)

 従業員と部門の間に成立する関係は、「配属」 という 「意味」 を示す。つまり、「持続する現実的な事物」 の間に成立する関係が、「生起する現実的な事物」 を示す。さらに、非対称的な関係にある モノ──つまり、aRb が成立しても、bRa が成立しない、ということ──として、以下を考えてみる。

   R1 {出荷番号 (R)、請求番号 (R)}.
   R2 {請求番号 (R)、出荷番号 (R)}.

 「系列」 は、非対称的な関係である。事業過程では、R1 は、代金回収の意味であるし、R2 は、入金確認後出荷の意味である。

 すなわち、「性質」 と 「関係」 を切り離したとしても、「関係」 は、つねに、「意味」 を問われることになる。この点が、まさに、「関係の論理」 を、現実の事象 (選択的な因果関係) に対して適用する際のむずかしさである。言い換えれば、「関係」 は、できうるかぎり、形式だけを論点にしながら、いっぽうで、「意味」 を記述するようにしなければならない。
 コッド 氏が提示した関係 モデル は、構文論の体系を維持して、「関係」 の意味を 「従属性 (関数従属性および包含従属性)」 を使って記述している パーフェクト な モデル──「relational complete」 を実現しているということ──である。いっぽう、関数従属性と包含従属性に対して、ほかの解釈を与えれば──null および非対称性に対して、ほかの解釈を与えれば──、違う公理系を作ることができる。それを示したのがT字形 ER手法である。或る意味では、T字形 ER手法は、コッド 関係 モデル の 「another version」 かもしれない。

 
(注 1)
 伝統的論理学というのは、フレーゲ や ペアノ が、論理の形式を提示する以前の論理学であり、アリストテレス が提示した推論形態を基本にしている。伝統的論理学と数理論理学の違いに関しては、以下の文献を参照されたい。
   近藤洋逸・好並英司 共著、「論理学概論」、岩波書店

(注 2)
 モナド (monad) とは、ギリシア 語の モナス monas (単位,一なるもの) に由来する概念。単子と訳される。ピタゴラス 学派や プラトン が用いて、ライプニッツ は、著作 「モナドロジー」 において独自の単子論的形而上学思想を説いた。ライプニッツ は物理的原子論を批判して、宇宙を構成する最も単純な要素とは、不可分で空間的拡がりをもたぬ単純者──宇宙のいっさいの事象を表出する個体的な実体 (形而上学的点)──であると主張した。それぞれの モナド は相互に他から独立であり,モナド 相互の間には予定調和の原理に従う観念的関係しか存しない。

(注 3)
 パース は、2項関係が、新たな意味を生むことを 「三項態」 として考えている。以下の文献を参照されたい。
   - パース 著作集 1 「現象学」、米盛裕二 編訳、勁草書房
   - パース 著作集 2 「記号学」、内田種臣 編訳、勁草書房
   - パース 著作集 3 「形而上学」、遠藤 弘 編訳、勁草書房



[ 補遺 ] (2008年 6月16日)

 「関係」 は、数学上、直積の部分集合とされ、そのなかで、たとえば、── 2項関係で云えば、x 軸の任意の値が付与されたら、y 軸の値が一意に対応するというふうに考えて──「関数」 として記述することができます。したがって、関係の論理 aRb において──言い換えれば、R (a, b) において──、a および b が、個体であれば (なんらかの集合の元であって、かつ、変項として扱えるならば、)、変項として扱うことになります。構文論的には、この扱いは、なんら、齟齬はないのですが、もし、変項を意味論的に扱うと争点が出てきます。というのは、たとえば、直積の一般形を考えてみましょう。

  R { s1 ∈ X1, s2 ∈ X2,・・・, sn ∈ Xn ∧ P (s1, s2,・・・, sn) }.

 s1, s2,・・・, sn は、「タプル (tuple)」 とよばれていて、公理的集合論 (ZF の公理系) では、「集合」 とされます。これらの 「タプル」 に対して、意味論的に、以下の概念を導入したとします。

 (1) 事態 (case)
 (2) 主体 (subject)

 ただし、事態も主体も 「定義されている」 とします──それらの定義は後述します。

 さて、関係主義の観点に立って、項 (セット の元) は、事態であれ主体であれ、範囲を限られた或る関係では (「部分関数」 と云っても良いでしょう)、変項として同列です──すなわち、R (s1, s2,・・・, sn) のなかで、変項として同じように扱います。しかしながら、実体主義的な観点に立てば、ふたつの個体 (ただし、主体) のあいだには、ひとつ (あるいは、ひとつ以上の) 「関係 (事態)」 が生じます──すなわち、R (a, b) において、a と b が、それぞれ、主体であれば、R が事態を指示する (言及する) というふうに考えることができます。たとえば、従業員と部門とのあいだでは、R { 従業員, 部門 } は 「配属」 という事態を言及します。とすれば、関係主義上、R (s1, s2,・・・, sn) として記述された個体 (主体であれ事態であれ、変項である、ということ) のあいだには、「階」 がないのですが、もし、実体主義的な見かたを導入すれば、主体と事態のあいだには、「階」 が生じます。言い換えれば、実体主義的な見かたでは、主体は事態に侵入するというふうに考えることができます [ この考えかたは、パース 氏が示した三項態の考えかたですし、ホワイトヘッド 氏の形而上学も、そういう考えかたをしています ]。

 以上の点が、関係主義と実体主義のあいだで、R (a, b) に対する 「解釈」 の ズレ を生じる原因です。
 もし、関係主義を前提にしつつも、実体主義的な個体概念 (主体と事態) を導入すれば、R (a, b) の 「文法」 を 「関数」 として扱えないことになります。TM (T字形 ER手法) は、まさに、この問題点に ぶつかりました。そこで、TM が用意した 「関係文法」 は、以下のように、4つの 「場合分け」 になりました。すなわち、R (a, b) を基本形にしつつも──以下の文では、c は case (事態) を示し、s は subject (主体) を示すとします──、

 (1) a ≠ b (ふたつの集合のあいだに生じる関係)

  (1)-1 resource-対-event の関係 R { si, ci }.

  (1)-2 event-対-event の関係 R ( ci, cj ).

  (1)-3 resource-対-resource の関係 R { si, sj }.

 (2) a = b (ひとつの集合のなかの元を並べる再帰関数) R ( mi, mi+1 ).

 TM は、「関係」 に関して、関係主義と実体主義を、以上にように折衷する文法となりましたが、ほかの ソリューション を考えることは当然ながらできます。たとえば、主体 (a と b) を基本にして、事態 R (a, b) を構成して、事態 R に対して第二階の述語 F (R1, R2) を使うという考えかたもできます。そのほうが、エレガント な体系を組めるかもしれない。

 ただ、TM 上、ここでやっかいな点になったのが、個体の 「定義」 です。
 TM では、個体 (主体および事態) は、以下のように定義されています。

 (1) entity (個体) である = Df 個体指定子を付与された管理対象である。

 (2) event (事態) である = Df 性質として 「日付」 が帰属する entity である。

 (3) resource (主体) である = Df event 以外の entity である (補集合)。

 resource を定義していない点に注意してください──すなわち、個体のなかで、resource は、event の補集合として扱っています。というのは、resource を 「定義できない」 から。したがって、event (事態) は、実体主義的な観点に立てば、そもそも、関係 R として指示されるはずが、個体指定子 (コード 体系上の認知番号) を付与されたら、resource (主体) と同列の変項になる、ということです。ゆえに、TM は、上述したような 「場合分け」 の文法を示すしかなかった、という次第です。
 ちなみに、event は、たとえ、個体指定子を付与されても、関係 R としての性質を継承するので、TM の文法では、「主体 (resource) が事態 (event) に侵入する」 という文法になっています。





  << もどる HOME すすむ >>
  ベーシックス