2004年 8月16日 作成 仮言命題 と 因果関係 >> 目次 (作成日順)
2008年 9月16日 補遺  


 
仮言命題では、前件肯定式と後件否定式の 2つが、妥当な推論である。

 仮言命題とは、2つの命題が、「もし...ならば、...」 という接続詞 (論理定項) を使って結ばれた形式である。
 たとえば、「もし、きょうが月曜日ならば、明日は、火曜日である。」

 「もし...ならば」を 「→」 というふうに記述して、2つの命題を、それぞれ、p および q として記号化すれば、仮言命題は、以下のように記述される。

   p → q.

 p を 「前件」 といい、q を 「後件」 という。
 「もし、p ならば、q である (p → q)」は、「もし、q でないならば、p でない (¬q → ¬p)」 と同値である──なお、「¬」 は、「...でない」 (論理的否定) を記述している。「¬q → ¬p」 は、「後件否定式」 とも云われ、論証のなかでは大切な論法なので、「対偶」 という特有の呼称を付与されている。さらに、「もし、p ならば、q である」は、「q であるときにかぎって p である」と同値である。以下の立言を比べてください。

 (1) もし、佐藤正美が DA ならば、彼は SE である。
 (2) もし、佐藤正美が SE でなければ、彼は DA ではない。
 (3) 佐藤正美が SE であるときにかぎって、彼は DA である。

 さて、以下の立言が 「真」 かどうか、ということを考えてほしい。

 (4) 佐藤正美が DA であるときにかぎって、彼は SE である。

 判断に戸惑うでしょう(笑)。正解は、「偽」 である。なぜなら、(4) は、以下の立言と同値である。

 (5) もし、佐藤正美が SE ならば、彼は DA である。(しかし、DBA かもしれない。)

 仮言命題 (p → q) では、前件 p が 「真」 ならば、後件 q も 「真」 でなければならない──そのために、これを 「前件肯定式」 という。前件肯定式と後件否定式の 2つが、妥当な論証である。(参考)

 
仮言命題では、「先行・後続 (並び)」 と 「原因・結果 (因果関係)」 を混同してしまう虚偽が起こる。

 さて、仮言命題を、「帰納的推論」 のなかで、因果関係に対して適用するなら、注意しなければならない。
 仮言命題を、「帰納的推論」 のなかで、因果関係に対して適用する際、往々にして、「先行・後続 (並び)」 と 「原因・結果 (因果関係)」 を混同してしまう虚偽が起こる。たとえば、以下を考えてみれば良い。

  ▽ 佐藤正美は風邪をひいた。
  ▽ そこで、ニンニク錠剤を飲んだ。
  △ そしたら、風邪が治った。

 ニンニク 錠剤が、風邪を治した 「原因」 として考えられている。しかし、「事実」 として述べることができるのは、ニンニク 錠剤を飲んだのちに風邪が治った、ということのみであって、ニンニク 錠剤の服用が 「原因」 であった、と判断するには 「事前確率 (判断の材料となる豊富な引例)」 がない。
 しかし、次のように記述されたら、「先行・後続 (並び)」 と 「原因・結果 (因果関係)」 を混同しないかどうか、、、。

  もし、取引 A が 「出荷」 であれば、取引 A は 「請求」 の対象である。 [ 出荷 (x) → 請求 (y). ]

 出荷と請求のあいだには、一見、因果関係 (原因・結果) が成立しているように思われる。しかし、ウェッブ 上の取引のなかで、多々、採用されている形態として、請求して、入金を確認してから出荷することも、取引形態として成立する。

  もし、取引 A が 「請求」 であれば、取引 A は 「出荷」 の対象である。 [ 請求 (y) → 出荷 (x). ]

 すなわち、「出荷したのちに、請求する」 形態もあれば、「請求したのちに、出荷する」 形態もある。出荷と請求は、「因果関係 (原因・結果)」 として記述される対象ではなくて、「先行・後続 (並び)」 関係のなかで成立する取引形態である。言いかたを変えれば、出荷と請求のあいだに成立する関係は、なんら、「必然的な因果関係」 ではなくて、「選択的 (偶然的) な関連」 である。

 小生が、T字形 ER手法を使って、ユーザ の事業を記述する際、「(取引形態の) パターン」 を適用しない理由が、その点にある──T字形 ER手法を 「事実を記述する」 技法である、とした理由が、その点にある。たとえ、豊富な実例を材料にして、或る取引 パターン を認知したとしても、これから契約する ユーザ の事業形態に対して適用できる訳ではない。コンサルタント が、FOR (Frame Of Reference) として──演繹的推論として──、豊富な パターン を習得していることは正しい。だが、コンサルタント が診断の対象としているのは、事業一般ではなくて、個々の事業なのである──したがって、つねに、帰納的推論しかできない。
 そして、帰納的推論のなかで、仮言命題を扱う際、こまやかな注意を払わなければならない。

 
(参考)

 さて、以下の 2つの立言 (真・偽) を考えてください。

 1) [ 前件否定式 ]
   ▽ この論証の前件が真なら、この論証の後件は真である。
   ▽ この論証の前件は偽である。
   ∴ この論証の後件は偽である。

 正解は、「偽」 である。
 前件が 「偽」 であっても、後件は、「真」 あるいは 「偽」 の 「いずれか」 が成立する。したがって、前提 (前件) が 「偽」 であれば、結論 (後件) が 「偽」 であるという推論は成立しない。たとえば、以下を考えれてみればよい。

   ▽ もし、SDI 社が、新宿区にあったとすれば、SDI 社は、東京都にある、ということになる。(真)
   ▽ SDI 社は、新宿区にある。(偽。SDI 社は、中野区にある。)
   ∴ SDI 社は、東京都にある。(真)

 
 2) [ 後件肯定式 ]
   ▽ この論証の前件が真なら、この論証の後件は真である。
   ▽ この論証の後件は真である。
   ∴ この論証の前件は真である。

 正解は、「偽」 である。
 後件が 「真」 であっても、前件は、「真」 あるいは 「偽」 の 「いずれか」 が成立する。したがって、結論 (後件) が 「真」 であれば、前提 (前件) が 「真」 であるという推論は成立しない。これが、いわゆる 「逆、かならずしも、真ならず」 ということである。たとえば、以下を考えれてみればよい。

   ▽ もし、SDI 社が、新宿区にあったとすれば、SDI 社は、東京都にある、ということになる。(真)
   ▽ SDI 社は、東京都にある。(真)
   ∴ SDI 社は、新宿区にある。(偽。SDI 社は中野区にある。)

 



[ 補遺 ] (2008年 9月16日)

 述語論理の公理系の ひとつとして、ヒルベルト 氏と ベルナイス 氏が示した公理系があります。その公理系では、以下の 3つの推論規則が用意されています。

 (1)  A, A → B 
        B

 (2)  A (a) → C 
    ∃x A (x) → C

 (3)  C → A (a) 
    C → ∃x A (x)

 以上の 3つの推論規則のなかで、命題論理の推論規則は (1) の三段論法だけです。そして、(1) の推論規則を 「モーダス・ポーネンス (modus ponens)」 と云います。

 さて、モーダス・ポーネンス のなかで使われる仮言命題 (p → q) は、「対偶」 (¬q → ¬p) と同値です。「p → q」 は 「¬(p ∧ ¬q)」 (したがって、「¬p ∨ q」) と同値であることも思い起こして下さい。「¬q → ¬p」 も (当然ながら、) 以下に示すように、「¬p ∨ q」 と同値です。

    ¬q → ¬p ≡ ¬(¬q) ∨ ¬p ≡ q ∨ ¬p ≡ ¬p ∨ q.

 数学者・哲学者は、仮言を考えるときに、「対偶」 を使うようです。私も、推論では、意識して、「対偶」 を使うようにしています。というのは、そのほうが、思考しやすいので。ちなみに、デーゲル 氏は、「不完全性定理」 を証明するときに、「対偶」 を使っていますし、ウィトゲンシュタイン 氏も 「対偶」 を使って考える傾向があったようです。

 (1) もし、佐藤正美が DA ならば、彼は SE である。
 (2) もし、佐藤正美が SE でなければ、彼は DA ではない。
 (3) 佐藤正美が SE であるときにかぎって、彼は DA である。

 以上の 3つの文は同値です。「p → q」 は、集合論に翻訳すれば、「p ∈ q」 (あるいは、ふたつの集合のあいだの包摂関係で言えば、「p ⊂ q」) として記述できます。したがって、この例では、「DASE」 (あるいは、DASE) です。

 (4) 佐藤正美が DA であるときにかぎって、彼は SE である。

 この文は、「もし、佐藤正美が SE ならば、彼は DA である」 と同値ですから、「SEDA」 (あるいは、包摂関係では、SEDA) となって、意味論的に矛盾です──含意になっていない。

 同じように、「因果関係」 は 「先行・後続 関係」 の ひとつですが、「先行・後続 関係」 の すべて が 「因果関係」 ではない、という当然のことを外さなければ宜しい。

 ちなみに、「p → q」 に対して、「q → p」 を 「逆」 と云い、「¬p → ¬q」 を 「裏」 と云いますが、覚えなくてもいいでしょう。「逆、かならずしも真ならず」 という言いかたがあるように、「p → q」 が真であっても、「逆」 も 「裏」 も一般には真ではない。では、「逆」 とか 「裏」 を どういうときに使うのかと云えば、経験論的推論のなかで 「p → q」 を使うときに、p あるいは q が 「たまたま、真」 であるかもしれない偶然性を排除するために、考え得る推論形式を すべて 験証してみるとき、そして、そのときに限ります──ひょっとしたら、p → q の推論のなかに代入する項が q → p のときにも真であるかもしれないことも起こります [ たとえば、本 エッセー のなかで示した f (出荷, 請求) = 出荷 → 請求 と f (請求, 出荷) = 請求 → 出荷 が そうでしょうね ]。





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