2005年 3月16日 作成 | モデル と経験論的言語 | >> 目次 (作成日順) |
2009年 4月16日 補遺 |
(1) 分析的あるいは矛盾的である。 「分析的」 とは、トートロジー のこと (「恒真」、つまり、つねに、「真」 であること) をいう。たとえば、「p∨¬p (p、または、p でない)」 のような文をいう。そして、「矛盾的」 とは、「恒偽」 (つねに、「偽」 であること) をいう。たとえば、「p∧¬p (p、かつ、p でない)」 のような文をいう。「総合的」 とは、なんらかの経験的 テスト を前提にして、文の有意味性を主張できる──言い換えれば、記号と事実的対象との対応関係 (指示関係) を、経験的に検証して、真あるいは偽を判断できる──ことをいう。 したがって、「総合的な」 文では、経験的意味規準として、検証可能性 (経験的な テスト 可能性) が要請される。検証可能性は、ウィーン 学団が謳った概念である。しかしながら、検証可能性は、以下の理由のために、経験的意味規準として、不十分であることを、ヘンペル 氏 (Hempel, C.G.) が指摘した。(参考 1)
(1) 制約が強すぎる。
「制約が強すぎる」 という意味は、全称形式の文──「∀ (すべての)」 を使った文──を排除してしまう、ということである。つまり、一般法則の言明を排除してしまう。また、全称の量化記号と存在の量化記号が構成する文を、経験的に、意味のない言明にしてしまう。たとえば、「すべての物質には、或る溶媒がある」 のような文が、経験的には、意味のない言明になってしまう。 したがって、検証可能性 (経験的な テスト 可能性) は、経験論的意味規準として、適切ではない。ちなみに、反証可能性も、検証可能性と同じように、適切ではないことを、ヘンペル 氏は論証している。
経験論的意味規準として、ヘンペル 氏は、検証可能性の代わりに、翻訳可能性を提示した。 a. 言語 L の語彙。
(1) 論理学の語句 (2) 観察述語 (言語 L の経験的な基本語彙となる)(参考 2) (3) 以上の語を前提にして定義できる任意の表現 b. 言語 L の文形成規則 現代論理学のなかで認められている公理系 (たとえば、PM の公理系など)。(参考 3) さて、「T字形 ER手法は、以上の経験論的言語を意識して作られている」 ことを、(T字形 ER手法を、すでに、知っている) 読者は、気づかれたでしょう。ただし、T字形 ER手法は、文の生成規則として、論理学の公理系を── 一部を除いて (たとえば、再帰を除いて)──使っていない。 もし、文の生成規則として、数学的な 「関係」 概念 (直積集合) を使えば、コッド 関係 モデル のような (完全性を実現した) 数理 モデル になる。 なお、ヘンペル 氏は、その後、「翻訳可能性」 という考えかたに対して、懐疑的になって、使わなくなった。小生は、ウィトゲンシュタイン 氏の 「言語の使用説」 を立脚点にしているので、「翻訳可能性」 を信じている訳ではない──ちなみに、ウィトゲンシュタイン 氏は、「言語の使用説」 に至るまでのあいだに、ウィーン 学団が謳った 「検証可能性」 に関して、検討している。 小生が配慮した点は、「関係」 の対称性・非対称性を意識して、観察述語を、2つの クラス (「event」 概念と 「resource」 概念) に切り離した点である。観察述語を 2つの クラス に切り離して──しかも、意味論的前提に立っているので──文の生成規則として、2項関係を前提にした 「独自の」 規則を導入したという点に、T字形 ER手法の特徴がある。 「モデル は、生成規則と指示規則を提示しなければならない」 と、小生は、多々、言うが、それを、少々、丁寧に述べたのが、上述した論旨である。
(参考 2)
「観察可能な特徴」 とは、物理的対象の性質あるいは関係が、適当な条件の下で、与えられた事態のなかに現れるか現れないか、という点を直接の観察によって確かめられることをいう。「観察述語」 とは、「観察可能な特徴」 を指示する語句のことをいう。
(参考 3) |
[ 補遺 ] (2009年 4月16日)
本 エッセー では、ヘンペル 氏が示した 「検証可能性に対する反証」 と 「翻訳可能性」 を まとめています。そして、本 エッセー は、ほぼ、そのまま、拙著 「赤本 (データベース 設計論)」 「いざない (モデル への いざない)」 に転載されています。 さて、「検証可能性に対する反証」 は、長いあいだ──2007年頃まで──、私に対して呪縛となっていました。すなわち、「検証可能性に対する反証」 (および、ウィトゲンシュタイン 氏の後期哲学 [ 意味の使用説 ]) が私の考えかたに多大な影響を及ぼしていたので、タルスキー 氏の 「真理条件」 を (自然言語を対象にした) モデル の構成要件になかに なかなか 導入できなかった。 「赤本」 (2005年) で、カルナップ 氏が示した 「導出的 L-真、事実的 F-真」 を TM のなかに導入したのですが、ヘンペル 氏の 「検証可能性に対する反証」 と ウィトゲンシュタイン 氏の 「意味の使用説」 が、「F-真」 を説明する壁となっていました。その壁を壊してくれた説が デイヴィドソン 氏が示した 「T-文による テスト」 でした。そして、「赤本」 で導入した 「L-真、F-真」 に対して、デイヴィドソン 氏の 「T-文による テスト」 を導入すれば、ウィトゲンシュタイン 氏の後期哲学で示された 「合意」 概念を矛盾しないまま モデル の構成要件に入れられることに気づきました。それらの概念を整合的に モデル のなかで構成するには、以下の構成しかないでしょうね。 「合意」 された語彙 → L-真 の構成 → F-真の験証 図式で表せば、以下の構成となります。
(F-真) ┌──────────────────────────────────┐ │ │ │ ┌───────┐ │ │ │ │ │ │ ─┘ └─ ↓ y (形式的構造) ← f ← x (語彙) ← 「情報」 ← 現実的事態 ─┐ (L-真) ┌─ │ │ └───────┘ 「情報」 は、その現実的事態に関与している人たちのあいだで、人々が共有している生活様式を前提にして 「文脈」 のなかで 「解釈」 されます。すなわち、「情報」 は、「合意」 された使用法を前提にしているということです。したがって、ユーザ が使っている言語を変形しないで、できるかぎり機械的に形式的構造を与えるのが モデル の文法です──その文法が、ロジック で定立されてきた 「論理法則」 です。この形式的構造は、文法を守って構成されるので 「L-真」 を実現しています。そして、その形式的構造が 「F-真」 であるかどうかは、以下の 「T-文」 で テスト されなければならない。 文 「p」 が真であるのは、時刻 t において、事態 p と一致するとき、そして、そのときに限る。 この 「T-文」 は、デイヴィドソン 氏が 「タルスキー 氏の真理条件」 を自然言語向けに編成した文です。この 「T-文」 を使えば、「真理条件」 を モデル のなかに整合的に導入できるし、それが導入できれば、上述した図式が モデル の正当化条件 (構成要件) になるでしょう。 |
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