2005年 6月 1日 作成 | 「真」概念 (その 2) | >> 目次 (作成日順) |
2009年 7月 1日 補遺 |
カルナップ (Carnap, R.) 氏は、論理的意味論のなかで、「真」 概念として、以下の 2つを提示した。(参考)
(1) F-真
(1) F-真である = Df 語-言語が事実的対象を記述する (指示する)。 もし、1つ概念が、いくつかの概念を前提にして構成されていて、しかも、その複合概念が、或る事実的対象を指示しているのであれば、L-真は、同時に、F-真となる。 TM では、(モデル として、) F-真を順守するために、以下の前提を導入している。 Entity である = Df 認知番号を付与された個体である。
(1) Event である = Df 性質として、「日付 (取引日)」 が帰属する。
L-真は、文法規則のなかで記述される。経営過程 (管理過程) のなかで、典型的な L-真は、「在庫」 概念である。 同じように、従業員と部門とのあいだに成立する関係 (「従業員. 部門. 対照表」)は、L-真 を示す。そして、この対照表は、性質として、「日付 (配属日)」 を付与することができるので、(L-真であると同時に、) F-真として考えることができる──「配属」 という event を指示する。
いっぽう、取引先と商品とのあいだに成立する関係 (「取引先. 商品. 対照表」) は──もし、「受注」 entity が認知されていれば、── L-真であるが、(「日付」 を付与することができないので、) F-真ではない。もし、「日付」 を付与すれば──そして、数量も記述すれば──、この対照表の 「意味」 は、「受注」 と同じである。「受注」 は、すでに、成立しているので、この対照表を、「受注」 として考えることはできない (F-真ではない)。 F-真を示す データ は実装しなければならないが、L-真を示す データ は、導出関係のなかで成立するので──アプリケーション・プログラム の アルゴリズム として扱われ──、原則として、「データ」 として実装しない。L-真を示す データ を実装すれば、アプリケーション・プログラム の ソース・コード が削減される、という実践上の配慮にすぎない。 |
[ 補遺 ] (2009年 7月 1日)
「F-真」・「L-真」 は、T字形 ER手法が TM として生まれ変わる契機となった概念です。「F-真」・「L-真」 そのものは、「事実的な項」・「導出的な項」 の性質を示す概念なので、取り立てて新しい概念ではないのですが、T字形 ER手法を再検討する際に、「意味論」 を強く意識するように気づかせてくれる機縁になった概念です──なぜなら、「真」 概念は、「意味論」 (あるいは、広義には、「真理論」) の中核概念だから。拙著 「赤本 (データベース 設計論)」 のなかで、「F-真」「L-真」 を はじめて導入して、この著作で、かつてのT字形 ER手法を TM という呼称に変えました。 本 エッセー では、「F-真」「L-真」 を説明しているのみですが、本 ホームページ の 376ページ 「『真』 概念 (その 1)」 の補遺で綴ったように、私が当時悩んでいた点は、言語哲学上的意味論の 「同意」 概念 (ウィトゲンシュタイン 氏の後期哲学、言語の 「意味」 が どのようにして成立するのか という説明概念) と数学的意味論 (ゲーデル 氏の完全性定理、「F-真 ←→ L-真」──すなわち、意味論的恒真命題は証明可能であり、かつ、その逆も真である ということ) を いかにして調整すればいいか という点でした。というのは、T字形 ER手法を 「モデル」 の観点で検討してきて、言語哲学的意味論と数学的意味論が平行線のままになっていて、T字形 ER手法が 「事業を 『正確に』 記述する」 ことを目的にしたときに、「情報 (自然言語で記述された 「意味」)」 を対象にしていることの妥当性を説明できなかったから。拙著で云えば、T字形 ER手法は、以下のように変化してきました。 (1) 「黒本」 では、ウィトゲンシュタイン 氏の前期哲学を前提にして、「対照表」 を 「真理値表 (主選言標準形) としての性質で導入した。「真理論」 の説で云えば、どちらかと言えば、「意味の対応説」 を前提にしていた──ただし、その説が (T字形 ER手法で構成された) 「データ 構造」 を説明するには強引するぎることを意識していました。 (2) 「論考」 では、「黒本」 を否定して、ウィトゲンシュタイン 氏の後期哲学 (言語 ゲーム) に前提を移しました。すなわち、「情報」 のなかで使われている語いは、その事業に関与している人たちのあいだで 「同意」 された概念を示し、かつ、文法に従って構成された 「構造」 は、かならずしも、「構造全体として事態全体に対応している訳ではない」 し、語の 「意味」 は文脈のなかで示される、と。ただし、そのように前提を移したときに、「同意」 概念と 「構成 (無矛盾性)」 とのあいだで 「完全性」 の扱いが非常に難しい点になってしまった。つまり、数学上の 「無矛盾性・完全性」 と言語哲学上の 「同意」 概念のあいだに乖離が起こっていて、T字形 ER手法の意味論的整合性を説明できない事態に陥っていました。 (3) 「赤本」 では、再度、「意味論」 を検討して──カルナップ 氏の 「意味論」 を検討して──、「F-真」「L-真」 を導入して、T字形 ER手法の文法に従って構成された 「構造」 を意味論的に説明できるようにしました。しかし、この時点でも、(2) の問題点が除去されてはいなかった。 (4) 「いざない」 で、やっと、「同意された語い → L-真 の構成 → F-真の験証」 という体系を示すことができました。すなわち、数学的な 「F-真 ←→ L-真」 において、必要条件 (L-真 → F-真) を維持して、いっぽうで、十分条件 (F-真 → L-真) の 「F-真」 (意味論的恒真) を経験論的言語 [ 自然言語 ] に適用できるように調整しました。たとえば、恒真命題として 「p ∨ ¬p」 を考えたときに、これを 「意味論的恒真」 すなわち 「F-真」 として考えるか (A)、それとも、「(言語の) 文法において認められている」 と考えるか (B) が争点となるのですが、私は、ウィトゲンシュタイン 氏の説に従って (B) を導入しました。ちなみに、「同意された語い → L-真 → F-真」 という着想を与えてくれたのが デイヴィドソン 氏の説です。 なお、「F-真」「L-真」 は、本 エッセー のなかで述べたように、「対照表」 の性質を判断するときに、とても effective [ 説明しやすい ] 概念です。そのために、上述した (3) で これらの概念を導入しました。 |
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