2005年11月16日 作成 文を綴るための辞典 (名言集) >> 目次 (作成日順)
2010年11月16日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、「文を綴るための辞典 (名言集)」 について考えてみましょう。

 
 ● 名言集を 「辞典 (文例集)」 として使う。


 「名言集」 を辞典と云うのは奇妙に感じられるかもしれないけれど、「名言集」 を辞典として使えます。
 私は、(じぶんの書斎として借りている アパート に多数の 「名言集」 を蔵書していますが、) 拙宅のほうに、それらの蔵書を、すべて、置けないので、拙宅 (の仕事部屋) では、「世界名言全書」 (東京創元社、昭和 32年刊) のみを置いています──机の横に (side-table に) 置いて、辞書として、多々、参照しています。
 「世界名言全書」 は、以下の 6巻です。

    (1) 「幸福と希望と人生」
    (2) 「友情と恋愛と結婚」
    (3) 「男性と女性と家庭」
    (4) 「生と死と愛と信仰」
    (5) 「成功と職業と生活」
    (6) 「芸術と学問と教育」

 これらの書名が、本 ホームページ 「思想の花びら」 では、「テーマ ごと」 の分類標題として流用されていることを気づかれた人たちもいるでしょう。それぞれの冊子の大きさは、新書本ほどです。編者は、故・河盛好蔵 氏です。

 


 ● 国語辞典で定義を調べて、名言集を概念分類表として使う。


 国語辞典に対して、「世界名言全書」 を文例集として、私は使っています。
 たとえば、「職業」 を主題にして文を綴る際、まず、国語辞典で、「職業」 の 定義を調べます。
 「例解 新国語辞典」 (三省堂) では、「職業」 を、以下のように、定義しています。

   [ 職業 ] (名) 生活していくためにする仕事
        (句例) 職業につく。 職業をかえる。
        (語例) 職業訓練

 次に、職業に関して、どういう考えかたがあるのか、という点を、「世界名言全書」 を使って調べます。
 国語辞典の定義では、「生活」 と 「仕事」 が中核概念になっていますので、冊子 (5) を使って調べます。冊子 (5) では、「職業」 そのものが中核概念になっていますので、その概念の下に、重要細目が、以下のように数多く記載されています。

   行動、決断、実行、活動、仕事、労苦、働くこと、労働、勤労、勤勉、怠惰、労働は人生の条件、労働と貧乏、
   休息、労働と報酬、労働者、使う人、使われる人、主人、職業、職業の選択、家業、天職、時、金、金の力、
   金と悪徳、経験、商売、取引、経営、共同、信用、利益、企画、事業、処世術

 これらの重要細目 (下位概念、サブセット) が、「職業」 (上位概念、セット) に対して、網羅性を実現しているかどうか、という点を調べるのは、非常に しんどい調査になるので、そういう検討を省いて──河盛氏の分類を是認にして──、これらの重要細目のなかから、みずからの テーマ を選びましょう。重要細目のなかにも、中核概念と同じ言いかたの 「職業」 がありますね。重要細目の 「職業」 を読んでみます (86 ページ、87 ページ)。

 


 ● 名言集のなかから気に入った文を選び、文の並びを変える。


 そこには、11 編の引用文が記載されていますが、そのなかから、以下の文が、私の興味を惹きました。

       私はじぶんの人生をつくり上げるために努力して来た。それが私の職業であり、仕事であった。
       (モンテーニュ 「随想録」)

       じぶんの職業を吹聴する人間ほどみじめなものはない。
       (フェヌロン 「テレマッタ」)

       ひとはその制服のとおりの人間になる。
       (ナポレオン 一世)

       ともかく、私は、じぶんの職業の命ずる特殊な具体的技術のなかに、そのなかだけに、私の考え方、
       私の感じ方、要するに私の生きる流儀を感得している。かような意識が職業に対する愛着であります。
       (小林秀雄 「私の人生観」)

       いかなる職業でもじぶんが支配する限り愉快であり、服従する限り不愉快である。電車の運転手は
       バス の運転手ほど幸福ではない。
       (アラン 「幸福論」)

 
 さて、以上に引用した文の並びは、書物のなかに記載されていた順番です。
 以上に引用した文を資料にして、1つの考えかたを綴ることができるでしょう。
 まず、以上に引用した文の並びを、以下のように変えてみます。

       ひとはその制服のとおりの人間になる。
       (ナポレオン 一世)

       いかなる職業でもじぶんが支配する限り愉快であり、服従する限り不愉快である。電車の運転手は
       バス の運転手ほど幸福ではない。
       (アラン 「幸福論」)

       ともかく、私は、じぶんの職業の命ずる特殊な具体的技術のなかに、そのなかだけに、私の考え方、
       私の感じ方、要するに私の生きる流儀を感得している。かような意識が職業に対する愛着であります。
       (小林秀雄 「私の人生観」)

       じぶんの職業を吹聴する人間ほどみじめなものはない。
       (フェヌロン 「テレマッタ」)

       私はじぶんの人生をつくり上げるために努力して来た。それが私の職業であり、仕事であった。
       (モンテーニュ 「随想録」)

 
 以上のように、並びを変えたら、1つの意見を構成することができるでしょう (笑)。
 そして、それらの文を、みずからの文体に書き直せば、「あなた自身の文」 を作成することができます。
 しかも、「鋭い視点」 を感じさせる文を (笑)。

 


 ● 作文するために、良質の材料 (名言集) を使う。


 文章 (1つの意見) を作成することなど、(以上に述べてきたようにすれば、) 簡単な仕業です。
 もし、文を綴るのが苦手であると言うのであれば──中学までの教育を終えている人が、作文できない訳はないはずですが──、作文作法を知らないということではなくて、作文するための材料 (しかも、良質の材料) がない、ということでしょうね。



[ 読みかた ] (2010年11月16日)

 本 エッセー では、「名言集」 を使って文を綴る やりかた を具体的に説明していますが、そういう やりかた で綴った文が、書き手の 「個性」 を伝えているかどうか──言い換えれば、書き手の 「実感」 で綴られているか──は、べつの論点です。「名言集」 を読んで 「材料」 を仕入れて、たとえ、「じぶんの」 ことば で綴ったとしても、書き手の 「実感」 が込められていない文というのは 「白々しい」 と感知できるでしょう。書き手の idea (と brief) が示されていない文を読むのは waste of time でしょう。読みたい書物が豊富に存在しているので、same old な考えを述べた書物を読みたかない。

 モーツァルト の音楽を真似るとか モジリアニ の絵を真似ることは、私には、毛頭、できないけれど、ウィトゲンシュタイン の ことば を真似るとか小林秀雄の ことば を真似ることはできます。「コピペ (コピー & ペースト)」 盛りの文も文になるというのが ことば の性質そのものですね。それが ことば の 「公共性」 の利点であるのですが、他人 (ひと) の ことば を読んで、じぶんが うっかりしていると、まるで、じぶんでも そういう ことば が簡単に思い浮かぶように思い込んでしまう。

 「名言集」 は、たいがい、天才たちの遺した ことば を収録しているので、しかも、それらの ことば を文脈から切り離して収録しているので、さまざまな 「解釈」 ができるでしょう。そういう意味では、かれらの ことば は、seminal です。そうであれば、かれらの ことば を そのまま借用しないで、かれらの ことば に ispire されて生じた思いを じぶんの ことば で綴るようにすればいいでしょう。そうすれば、copycat にならない。

 逆に言えば、じぶんを inspirit する [ してくれる ] 材料は、「上質な」 ほうがいい、ということです。歴史に名を遺した天才たちの ことば は、最上質な材料です。だから、私は 「名言集」 が好きです。





  << もどる HOME すすむ >>
  佐藤正美の問わず語り