「TMの会」 プログラム このウインドウを閉じる
/ 2004年11月22日 / 

 

 ● コッド関係モデルは、第一階の述語論理と集合論(セット概念)を前提にしている ...

 コッド関係モデルは、「関係の論理 [ aRb ]」 の関係(relation)を、直積集合として考えて、以下の2つの従属性を使って、「意味」を (構造のなかで)「制約条件」として記述している。コッド関係モデルは、構文論である。

 (1) 関数従属性 R{a, b}.
 (2) 包摂従属性 A ⇒ B.

 関数従属性とは、「1つのテーブルのなかで、或る属性値 (praimary-key) に対して、他の属性値が、高々、一意になる」 ということであり、包摂従属性とは、「複数のテーブルのあいだでは、或るテーブルのキーは、他のテーブルにも存在しなければならない」 ということである。コッド関係モデルは、「完全性 (relational completeness)」 が証明されている。

 
 ● コッド関係モデルの 「意味」 記述は、意味論を前提にしている ...

 コッド関係モデル (構文論) のなかで、「制約条件」として記述されている「意味」 (従属性) は、事業過程のなかで実地に使われているデータを対象にしたとき、以下の2点が、問題点となった。

 (1) 関数従属性では、テーブルのなかのヌル値 (null-value)
 (2) 包摂従属性では、テーブルのあいだの「並び」

 コッド関係モデルでは、主体集合は、すでに、記号化されている、という点が前提にされていて、主体集合の「意味」を知っている人でなければ、関数従属性も包摂従属性も判断することができない。つまり、構文論は、意味論を前提にしている。

 
 ● カルナップ (Carnap, R.) は、意味関係を、指示関係と表現関係に切り離した ...

 現実の事象(すなわち、経営過程)をモデル化する、ということは、以下の3つの対象がある、ということになる。

 (1) 経営過程 (指示対象)
 (2) モデル (記号)
 (3) 経営過程をモデル化する解釈者

 或るモノ (x とする) と、他のモノ (y とする) とのあいだに、「x は y を意味する」という関係が成立するならば、その関係を「意味関係」という。意味関係は、以下の2つに切り離すことができる。

 (1) x は y を指示する。(指示関係)
 (2) x は y を表現する。(表現関係)

 「意味論」とは、指示対象(経営過程)と記号(モデル)とのあいだに成立する指示関係に関する理論のことをいう。そして、解釈者と記号とのあいだに成立する意味関係を、表現関係という。したがって、指示関係と表現関係を混同してはいけない。意味関係を、指示関係と表現関係に切り離した人物は、モリス氏(Morris, C.)とカルナップ氏(Carnap, R.)である。

 
 ● TMは、指示対象として、事業過程のなかで使われている「情報」を対象にする ...

 事業過程を対象にして個体を認知するか、あるいは、管理過程 (情報、あるいは事前報告・経過報告・事後報告) を対象にして個体を認知するか、という点は論点になる。
 事業過程を対象にして個体を認知するやりかたが、いわゆる「業務分析(job-analysis)」である。いっぽう、TMは、管理過程を対象にして個体を認知する観点に立つ。

 「システム化は、コンピュータ化のみをいうのではない」というのは正しい。しかし、事業過程を、どのように管理するか、という管理過程の設計は、システム・エンジニアの仕事ではない (それは、エンドユーザの仕事である)。
 意味関係として、指示対象と記号とのあいだに成立する指示関係と、記号と解釈者とのあいだに成立する表現関係の2つがあるとするなら、解釈者を中心点にして、以下の3つの「世界」がある、ということになる。

 (1) 物理的世界 (物的状態の世界) [ 経営過程 ]
 (2) 心的世界 (心的状態の世界) [ 解釈者の認知 ]
 (3) 知性が把握しうる世界 (客観的意味の世界) [ モデル ]

 この3つの世界では、(1) と (2) が相互作用し、(2) と (3) が相互作用する。
 この3つの世界を論証した人物がポパー氏(Popper, K.)である。ポパー氏は、(3) を「第三世界」とよんでいる。

 
 ● ポパー (Popper, K.)は、「第三世界」の自律性を論証した ...

 「第三世界」(客観的な世界)を、1つの「実体」として認めるかどうか、という点は論点になる。「第三世界」を「実体」として認める立場が、プラトン主義とよばれている。
 ただ、もし、「第三世界」を認めるとすれば、「第三世界」は、それ自体、自律性があることを、ポパー氏は示した。「第三世界」は、人間が作った産物であるが、それは、翻って逆に、それ自体の自律性を生み出す。たとえば、自然数という産物のなかでは、素数が、のちのち、「発見」された。

 自律性は、絶対的ではない。新しい(潜在的な)問題点は、新しい構成を導いて、新しい対象が、「第三世界」に加わる。そして、このような進化的歩みは、ポパー氏のことばを引用すれば、「新しい意図しなかった事実、新しい予期しなかった問題を、そして、また、しばしば、新しい反証を生み出す」。
 ポパー氏は、理論(あるいは、知識)の進化として、以下の図式を示した。

    P → TT → EE → P

 Pは、思考対象となった問題点である。Pからはじまって、TTという「暫定的なソリューション(あるいは、理論)」に進む。TTは、部分的あるいは全体的に、間違った理論かもしれない。そして、EEという「誤り排除」--すなわち、実験的テストや験証や反証--の篩(ふるい)にかけられる。「第三世界」の自律性、および、「第三世界」の(第一世界・第二世界に対する)feedback--「誤り排除」の制御--は、知識の進歩には、a must な作用である。

 そして、「自律性」と「feedback」を、一般化して言い直せば、「構文論」と「意味論」の調和という論点になる。
 モデルでは、以下の2点が論点になる。

 (1) 構造の妥当性
 (2) 値の真理性

 値の真理性は、feedback (現実の世界との対比) のなかで検証される「真」概念もあれば--カルナップ氏のいう「F-真」--、(意味論を前提にして作られた)構造の妥当性のなかで検証される「真」概念--カルナップ氏のいう「L-真」--もある。

 
 ● TMは、「情報」が複文であることを示した構文論であった ...

 「情報」を対象にしたTMは、「情報」を複文として考えて、「1つの複文は、いくつかの単文から構成される」という (命題論理の) 前提を使った。そして、「第二世界」の恣意性を排除するために、モノの認知規則として、「合意」概念を前提にして、コード体系を使うことにした。TMがいうモノとは、「主語-述語」形式である。
 ただ、命題論理は、主語のあいだに成立する関係を記述することができない。そのために、「関係の論理」を使った。TMは、コッド関係モデルの「意味」記述を補強するために、「関係の論理」のなかに、意味論的概念 (「event」 と 「resource」) を導入した。

 「第二世界」の恣意性を排除すれば、「第一世界」と「第三世界」との相互作用のみが論点になるので、TMは、当初、「写像理論」(なんらかの「指示関係」)を前提にしていた。ウィトゲンシュタイン氏 (Wittgenstein, L.) の「論理哲学論考」を前提にして、TMの「最初の」体系が作られた。

 しかし、「写像理論」を使えば、「第三世界」の自律性を示すことができない--「命題論理」の真理値表として作られた対照表が、「event」の原型になって、「第一世界」の事業構成を、「モデルのなかで、再編成できる」ことを示すことができない(!)
 新たに作られた対照表が、現実の世界のなかで、指示関係がないからといって、かならずしも、「無意味」なデータ集合ではない。

 
 ● 対照表は、構文論的には「真理値表」だが、意味論的には、「event」概念である ...

 対照表は、TMのなかで、技術的に (命題論理の技術として)、真理値表として使うが、意味論的に (「関係の論理」の指示関係として)、現実世界のできごとの指示記号であり、かつ、現実世界のなかに、いまだ、ないけれど、新たに作ることのできる事業過程の指示記号である。

 
 TMが、「命題論理」を使った理由は、以下の点にある。
 (1) 「情報」を対象とする。
 (2) 「情報」は、複文であり、いくつかの単文から構成される。
 (3) 同じ主語をもつ単文 (の連言) をモノ (entity) とする。
 (4) 主語は「合意」概念を前提にするために、コード体系を使う。

 ただし、命題論理の技術として導入した対照表 (真理値表) が、意味論的には、「event」 を指示する。そして、(「第一世界」に対するソリューションの1つとして、) 現実の世界のなかに、いまだ、構成されていない「event」を作ることもできる。

 TMは、当初、構文論として、命題論理を前提にしていたが、次第に、意味論を、つよく導入するようになった。小生は、当初、「モデルは構文論でなければならない」と思っていたが、構文論は意味論を前提にする。そのために、論点になったのが、構文論と意味論の統合という点である。そして、モデルは--およそ、モデルというなら--、以下の2点を実現していなければならない。

 (1) 生成規則 (構造の妥当性--構文論)
 (2) 指示規則 (値の真理性--意味論)

 (事業過程を対象にして、) モノの認知と、構造の作成が、1人の価値観に揺らぐような やりかた をモデルとは言わない--それは、単なる作図作法である。作図作法を論点にするつもりは、小生には、ない。作図作法で良いのであれば、「このみ」の作法を選べば良い--使われている記号が少ないとか、アイコンの見栄えが良いとか、モノの関係を示す線がなめらかで見やすいとか。論理においては不意打ちはない。構造のなかで、構文論的に、モノの網羅性と関係の網羅性を検証できないような (そして、意味論的に、新たなモノの認知と、新たな関係の生成を示唆できないような) やりかた をモデルとはいわない。

 

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